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 第五章 4.     by 深雪 

 目を開けると外は白み始めていた。もうじき夜が明ける。
 いつも一向に眠りに落ちない僕が、昨夜は眠れたな、と安堵の息を吐いた。 そして、窓のバーチカルブラインドの隙間から、明けようとしている空を見た。
 ずっとずっと眠れない夜を過ごしてきた。
 身体を休めるために横になって、一日あった出来事を振り返ったり、明日を想ったり、それに退屈したら窓の外をぼうっと眺めた。
 真っ黒って思ってた夜空にも、黄色味を帯びた黒だったり、緑が混ざった黒もあるんだな、って、微妙な濃淡を感じられた。
 そうすることで感情の昂ぶりを逃すことも、自分の心を落ち着けることもできたから。
 穏やかな気持ちになれば眠りに入ってける気がしたし、実際に薬が効いて記憶が途切れたこともあった。
 今朝はたっぷりと眠れたから、いつになく頭がすっきりしている。
 いつもの朝とは違う。充足感が心地よかった。
 睡眠導入剤を飲み忘れたことも、俄かには信じらんないけど。すごく気分がいい。
 次第に明度が高くなってく空を観察するのにも飽きて、視線を僕の隣に移した。
 ダウンライトの下に黒い頭だけが見えてるのが栞。
 これも、いつもと違う朝。
 夜に掛けてやったままキルトケットに丸まって、僕のベッドにいる。
 栞の頬をそっと触って熱が出てないか確かめて、ホッと息を吐いた。
 気持ちよさそうに眠っている。
 まだ時間はあるし、もう少し寝てたらいい、って思った。
 栞を起こさないようにベッドの反対側から抜け出ると、バスルームに向かった。
 ぬるめのシャワーを頭からかぶろうと、瞼を合わせた。
 すると途端に、ぶわっと残像が姿を現す。
 四人目のマネージャーの最後に見た顔が、くっきりと浮かんだ。
 歪んだ愛情。狂気に血走った瞳。それらが僕を捕らえたまま離してくれない。
 それを振り切るように、奥歯を噛みしめた。
 いい加減にしてくれ、って思った。
 やめてくれ。
 もう僕を解放してくれ。
 こんな風にときどき頭の中に出てきては、僕をかき乱す。
 頭から早く追い出したい。
 だから、マネージャーなんて、僕にはいらなかったんだ。
 ぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜる。何もかもキレイさっぱり洗い流して忘れてしまいたかった。
 シャワーを最大にして湯しぶきをかぶった。
 
 僕に付くマネージャーは色々あって悉く辞めていく。
 ぜんぜん長続きしないし、マネージャーにはまったくってほど恵まれなかった。
 原因のほとんどが、色恋沙汰。
 こんな僕だからいけないのか、社長は、マネージャー四人全員を解雇や移動というかたちで辞めさせた。
 どんな条件で僕のマネージャーを決めたのかはわからないけど社長の選択は間違っていた。
 最初に付いたマネージャーは、二十代の元モデルでキツイ性格の女性だった。いいところはサバサバしてて、積極的なところ。
 中学生の初心な僕に大人のあれこれを手取り足取り教えてくれた人で、僕にとって悪い人ではなかった。
 ただ、性癖に難があって、人に見られるかもしれない、っていうドキドキのシュチュエーションが堪らなくいい、ってタイプで、たびたびスリルを楽しんだ。
 ある日の仕事の控え室。いつ誰が入ってくるかもしれない中、僕とマネージャーは濃厚なセックスに耽っていた。
 長イスで仰向けになったマネージャーに僕が覆いかぶさって。僕の上半身には、マネージャーのガーターストッキングの足が絡みついていた。マネージャーの奥深くに入り、いよいよラストスパート、ってところを現行犯で見つかった。
 マネージャーのスカートは捲くれ上がり、ブラはずり上がった半乳状態。僕は着替えの途中に仕掛けられた為、まったくの全裸だった。
 それを見つけたのが社長でよかった、って今なら言える。
 次の日からマネージャーは僕の前から姿を消して、しばらくあとで解雇されたことを知った。
 二人目のマネージャーは社長の恋人。怖ろしくキレイな男だった。僕はそのことを知っていたし、男性にはまったく興味がなかったから間違いは起こらない。うまくいくだろ、って思っていた。
 ところが、マネージャーは何かにつけて僕に嫉妬心を煽ってきた。社長が僕を商品としてじゃなく、それ以上の愛情を持っているって勘違いしたんだ。
 言葉尻から僕のことをよく思っていないことはわかってたけど、次第に意地悪を仕掛けられるようになった。仕事の入り時間をわざと早く教えたり、私服を隠されたり、下剤を飲まされ挙句トイレに行けなくしたり。
 あの時は、社長と僕の何を見て勘違いしたのか、今もってわからない。結局、マネージャーは社長ともうまくいかなくなって、破局と同時に解雇された。
 三人目は、シングルマザーの四十代の女性。業界に染まっていない常識のあるしっかりした人で仕事だけでなく僕の健康面にも気を使ってくれて、しょっちゅう自宅に招いてくれた。
 いけなかったのは、僕と年の近い娘がいて、その子に言い寄られるようになったことだ。
 ある日、その子に呼ばれて部屋に入ったら服を纏っていなかった。色仕掛けだった。僕がそれに乗らないとわかると「乱暴された」と言って隠し撮りした写真を事務所に送りつけてきた。
 事務所は大騒ぎになったらしいけど、幸い外には漏れなかった。マネージャーはとうぜん騒ぎを起こしたって理由で仕事を外され事務所に移動になった。 解雇にならなかったのは離婚直後のシングルマザーで一生懸命に働く女性だったから。
 そこまでは、もしかしてマネージャー運がないのかも、って薄っすら笑うこともできた。けど、四人目のマネージャーで決定的だった。
 四人目のマネージャーは五十代、子なしの独身女性。このマネージャーは、とにかく仕事に必要なこと以外に口を開くことがなく四人の中で最もきっちりしていたと思う。まるで寸分違わないロボットのように。
 けど、いつの間にかマネージャーは心を病んでしまった。僕の行動を把握するためにストーカーして、その目は僕以外の誰をも映さなくなって、心の闇に身を投じていった。
 入っていた仕事をぜんぶキャンセルされて、気づいたらマネージャーの部屋にいた。監禁されていた。
 どこか変だな、って勘ぐった時には僕は身ぐるみを剥がされて、手も足も縛られてしまっていた。
 食べることを拒んで抵抗したけど、それも徐々にどうでもよくなって体力がどんどん消耗して目が霞んでいった。
 いよいよこのまま死んじゃうのかな、って意識した時。自分の身体の中心に奇妙な熱さを感じた。熱が一点に集中して内から込み上げてきて、その圧力に抗えずに、重たい目を開けた。
 間近にはマネージャーの顔があった。焦点の定まらない目に恍惚の表情。喜悦の声。僕の腹の上で激しく腰を振っていた。
 肉感の薄い五十代の女性の裸が僕を組み敷く姿を目の当たりにして、ありえない、嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ、と首を振った。
 目の前が現実、と理解したのと同時に、僕はあっけなく爆ぜた。強烈で鋭い快感が長く続いた。青臭いにおいとマネージャーの壊れた笑い声が容赦なく迫ってきた。
 手足を縛られてコントロールが効かない身体で、何度も繰り返されるたちの悪い悪戯。
 僕にはそれを止める手立てはなかった。
 手や口や性器で身体の芯を揺すられて、天国と地獄を行ったり来たり。 途轍もない時間を過ごした。
 窓の外が明るくなれば休憩が与えられ、夜は恐怖の時間になった。
 自分の身体が自分のものでなくなる苦しみの中、泣き叫び、数え切れないくらいの許しを乞いながら、僕の精気がどんどんと削がれていくのを感じた。
 深い絶望に襲われ生きる希望を失った。
 助け出されるまでの丸六日間は今も思い出したくはない。
 あれから、セックスはおろか、眠ることができなくなってしまった。
 眠れば、恐怖の夜がやってくる。
 睡眠導入剤は、僕の夜のお守り代わりになって、手元にないと安心できなくなってしまった。
 シャワーを浴びた端から、嫌な汗が出てくる。
 思い出して震える僕の拳は、力を入れすぎてすでに白くなっていた。

 ベッドルームに戻ってみると、さっきと同じかたちで栞は眠っていた。
 よく眠っているけど、そろそろ起こした方がいいかも。うつ伏せになったままの栞の肩を揺らした。
「栞。起きて」
 眠りが深いのかぴくりとも動かない。
 長い髪が身体の半分を占めるくらいの存在感。顔までも覆ってしまっている。さらさらの髪を梳くって、耳に掛けてやった。
 ふんわりと優しい雰囲気を纏う栞の身体に腕を差し入れて抱き寄せた。
 目は閉じられ、睫が上を向いてカールしている。頬にほのかに赤みが差し、唇は半分緩んでて気持ちがよさそう。いい匂いがするし、抱き枕にしたいくらい柔らかい。
「ね。起きないの?」
 揺すっても抱きしめても眠り続ける栞にちょっと呆れて、こうなったらぎりぎりまで寝かせてあげようか、って時計を見比べた。
 あと五分くらいなら大丈夫かも?
 「まるで眠り姫」と呟く。
 君は、眠り姫なの?
 童話のように、王子のキスで目覚めて、二人は幸せな生活を送るのだろうか。
 唇を奪うくらい簡単だ。そう思って手を伸ばしたところで、果たして僕は王子になどなれるのか?
 思いとどまって、栞の唇を親指で往復させた。
 ぷるんと柔らかい、しっとりした触り心地に、身体の奥が温かく満たされていくのを感じた。

(2013/04/05)


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