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 第五章 6.     by 深雪 

 こんなんじゃだめだってわかってるけど――。
 今日、僕は半日落ち付かないままいたせいで授業の内容をほとんど覚えていない。成果らしいものもなく、出席日数のつじつまを合わせただけだったな、と机に頬杖を突きぼんやりと考えた。
 とにかく学校が終わったら喫茶店オータムに直行しよう、とずっと思っていた。
 もう終礼が始まってもいい時間。
 なのに、なかなか始まらない。
 そもそも担任の青山が教室に入って来ない。さっきから教室横の廊下で隣のクラスの担任とむずかしい顔でやり取りしている。
 釈然としない思いで教室全体を見渡すと、半分くらいのクラスメイトは席には着かず、親しい者同士固まってしゃべっている。時間を気にしている者はいそうにない。のんびりと砕けた雰囲気に僕はひどく落胆した。
 栞は今頃どうしてるだろう?
 泣いていないだろうか?
 心配しすぎて、すべての物事がうわ滑りしていた。
 自覚しているだけに、過ぎていかない時間にイライラが募る。
 ああ。もう、早く始めて、ちゃっちゃと終わってくれないかな、と再度担任の青山に向けて念を送った。

「あ。可愛い子、見〜っけ!」
 僕の前の席に座るクラスメイトの三好が、楽しげに声を弾ませた。
「タケル。見てみろよ。あれ」
 三好は振り向きざまに顎をしゃくった。
 今はそんなふざけた気分じゃないっつーの、とふて腐れながらも三好の視線を辿った。
 窓の外。
 学校の敷地を囲うコンクリートの塀と、新緑の季節を経てさらに濃くなった緑が蔽う木々が途切れるちょうど裏門のあたり。
 あ。
 え? はあ? 何で、と目を見開いてそこを注視する。
 髪が短くなってる――。
 オータムで待っているはずの栞が、どうして裏門にいるのか、思わず声を上げそうになった。
 遠目でもわかる。栞が校舎を見上げ、くるくると頭が動いているのがしっかり見えた。
 鬱陶しそうだった腰の下まであった髪が一気に短くなっていた。鎖骨あたりでバッサリと切りそろえられ、前髪は瞳の上でカーブを描くように切ってあり、大きな瞳が際立って見えた。
「すっげえ、可愛い」
 そう言ったのは三好。賛同を求めない感嘆の声と、視線は今だ栞に向かっているのをいいことに、僕もこくこくと頷いた。 
 髪形ひとつで、って思うけど、ほんとうに可愛くなっていた。 
「さっきから門を行ったり来たりしてっから、誰かを待ってんだろ。向こうはこっそり覗いてるつもりだろーけど、バレバレってとこが、さらに可愛くねぇ?」
 くくくっ、と三好は可笑しそうに笑いながら振り向くと、な、と今度は僕に同意を求めてきた。
「あ? まぁ……」
 それには肯定のようでいて曖昧に言葉を濁し、栞の方へ視線を戻した。
 僕が人に向けて感情を表すと碌なことがない。
 あれこれと尾ひれがついて周囲に広まる。それで当人に迷惑をかけるから、あまりはっきりとした返事をしないようにしている。
 目で栞の姿を追う。
 栞はこちらから見られているとは思ってもいないようで、さっきと変わらず視線は校舎の窓をさ迷うように動いている。
 あーあ。何してるんだよ。まったく。
 授業も終わっている時間だから、けっこうほかの教室からも見られてるような気がする。
 けど、栞に悪目立ちしてる、って伝える手段はない。
「誰を待ってんだろ。やっぱ、あんだけ可愛いと間違いなく彼氏だろうな」
 彼氏、か。――だったらいいんだけど。
「そういうんじゃないけど、たぶん、待ってるのは、僕だと思う」
 と、さらっと白状した。
「そのセリフ、昨日も聞いた気がする」
 三好は僕を二度見してから、両手を上げ、オーバーアクションで仰け反った。おまえは売れない芸人か、って苦笑する。
「すげーな。昨日は怖そうな保護者で、今日は可愛い彼女のお迎えって? 羨ましいヤツ」
「だから。彼女じゃないって」
 と、きっぱりと否定する。
「あ。じゃあ。モデルとか? げーのー人?」 
「どっちもちがう。ただの知り合い」
 あまり突っ込まれたくない。軽く首を振りながらうっすら睨んで牽制した。
 疑った顔でこっちを見ていた三好は、なにを思いついたのか、企んだうれしくない笑みを浮かべながら、前へ向き直った。
 ようやく始まった終礼の間も、栞は時折、門から門の間を行きつ戻りつして僕らのいる校舎を見上げた。
 栞は学校に通ったことがない、って言っていた。
 学校というものが栞にはどんな風に映っているのか。そんなことを思いながら、僕は終礼が終わるのを今か今かと待ち、すでに鞄に手を掛けていた。
 それで。
 今。
 走っちゃいけない廊下を走っている。
 終わったばかりだから、人はほとんどいない。ひとり、何を慌ててるんだ、って顔にぶち当たったけど、すり抜けて走った。
 後ろで三好が僕の名前を呼んでいる。
 けど、止まらない。
 止まれるかよ。振り向くかよ。急いでんだよ。
 聞こえないふりで、栞の待つ裏門に急いだ。
 階段を駆け下りる。靴に履き替え、校舎を出て裏門を目指した。
 ところが。
 いない。どこにも。
 失速した足で、栞を探したけど、やっぱりいなかった。
 何処行っちゃったんだよ――。
 教室からは栞の姿が見えていたのに、移動している間にいなくなっていた。
 ほんの二分くらいの間に。
 裏門には、人の気配がほとんどない。それは正門側に交通機関があるからで、見通しのいい通りに人はいなかった。
 タッチの差で喫茶店オータムに戻ったのだろう。ほかに探す当てもなく、そう結論づけた。
「タケル。早えーよ〜。何回も呼んでんのにさ〜。思いっきり無視しやがって。いいから、紹介してくれって」
 不平たらたらの声に振り返ると、三好がさっきと同じ企み顔でこっちに向かって歩いてきていた。その背後には三好といつもつるんでいる友達まで連れている。
「可愛い子って? どこにいんの?」
「可愛い子なんてどこにもいねーじゃん。いんの俺らだけじゃん」
「んだよ〜。せっかく来てやったのによ〜」
 それぞれが好き勝手なことを言っている。
 事務所の社長の時は寄り付きもしなかったくせに。ぜんっぜん態度がちがう。
 だから、ひとりひとりの顔をまじまじと見て、
「いない」
 と、不機嫌に短く言ってやった。
 いなくてよかった、と思っているのを隠して。こんなオオカミみたいな男子に栞を会わせたくはない。
「あ〜ん! なんだよ。それ〜。せっかくお知り合いになろう、って思ったのに〜」
 残念そうに片足を三回地面に叩きつけてから、三好は腕を振り下ろした。マンガみたいな身振り手振りに呆れる。今日日、そんなリアクションをするヤツなんかいない、って思う。
 三好に連れて来られたクラスメイトも、文句をたれながら、早々にわらわらと散っていった。
「しょうがねーな〜。また今度、さっきの可愛い子を紹介してくれよ。じゃあな〜」
 三好はがっかりした顔を隠しもせず、調子のいい要求だけして戻って行った。
 たしか三好って他校に付き合ってる子がいるって言ってなかったっ? 別れたとは聞いていない。どういうつもりなんだ、あいつ。
 僕は、正門の方へかったるそうに歩く三好の後ろ姿を睨みつけてから裏門を出た。

(2013/07/23)


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