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 第六章 5.     by 栞

 テーブルを挟み二客ある内のひとつに座ったのは、夜中近くになってから。
 部屋を見渡すと、一部屋にキッチン、ベッド、テレビ、テーブルとイスがある。この部屋はとても分かりやすい造りになっていた。
 部屋の正体が現れて、ようやく安心できたところだ。
「1DKだけど、ひとり暮らしには十分だろ」
 匠は私の目線の先を知った風にして言った。私は頷く。たしかに広さは十分にある。
 けれど、と持っている箸を止めて、匠を見た。
「この間、泊まってもいいかって聞いたのに、どこに寝かせるつもりだったの?」
 匠は温め直したお弁当のごはんを頬張りながら、笑い飛ばした。
「ベッドは、病院のより広いだろ」
 ちっとも悪気のない様子。
 訊きたかったのは、ちょっとは片付けようって思わなかったのか。汚ない部屋のことなんかまるっきり気にしていないのには驚く。
 ――信じられない。
 今日は試験を受けて、掃除をして、身も心も疲れ果てたというのに。匠ったらケロッとした顔で、ごはんの次は焼き鮭へと一心に向かっている。
 離れ離れの生活が始まる前の思い出作りをしようと思っていたのに。
 私は、怒りをぶつけ損ねてすっかりと不機嫌になっていた。
 お弁当のから揚げを丸ごと口に放り込み、よく噛みもせず飲み込み、涙目になりながら睨む。
 けれど、匠の無心に食べる顔を見ていたら、どうでもよくなってしまった。
 ――もういいっか。許してあげよう。
 それにしても、匠って、仕事は誠実に取り組めても、片付けはさっぱりできない人なんだな、と思う。なんとも頼りない一面を知り、ときどきは掃除に来てあげないといけないな、とも思う。
「で、今日の試験、どうだった?」
 唐突に。
 今頃になって訊ねてきた匠を見た。私は勿体つけてペットボトルのお茶を飲み干し、神妙な顔をした。
「ん〜。思ったよりも難しかった。……けど、たぶん出来たと思う」
「うん。うん。そうだと思った」
 匠は満足そうに頭を振って頷いた。
「さて、と。風呂に入って、寝るか」
 私はそれに頷く。
 風呂を入れてくる、と言って部屋を出て行った匠を待っている間、鞄を開けた。まるちゃんに用意を手伝ってもらった鞄の中身は、パジャマのほかに、明日の服も入っている。
 あと、こんなものどこで手に入れたの? と珍しく真面目な顔をまるちゃんにさせたものまで詰めてきた。
「杜原先生には、絶対に見せちゃダメだよ!」
 と、注意されたものを一つ取り出して手のひらに乗せてみる。
 小さな四角い袋には、イチゴの絵がいっぱい散らばっていた。
 必要だからってこともあるけど、病室に置いてはおけなかったから、持ってきたのだ。
 春香さんから渡された手提げ袋の中身は、避妊具だった。
 手提げ袋の開口部全面に貼られたテープとひとりで開けるように言われたのは、こういうことだったのだ。
 と、いうかまったく知識がなくて、まるちゃんにあげようとしてしまった。
「これ、まるちゃんに分けてあげる」
 まるちゃんの目は、私の顔と手の中のものを何度か行き来させ、アッという間に耳まで真っ赤にさせた。しかも口をパクパクさせて焦った顔をして。
 慌てすぎて、言葉が見つからなかったんだって。
 透明のビニール袋には淡いピンクのリボンがされていて、イチゴ、メロン、桃の絵の小袋は、まるちゃんの好きな甘〜いお菓子に見えたんだもの。
 まるちゃんは顔を赤らめ、身振り手振りで避妊具の説明と女性の体を守るためのいかに大切なものであるかを、懇切丁寧に説明してくれた。
 私はイチゴの絵の小袋を、薄い掛け布団の中に潜ませた後、思い出し笑いした。まるちゃんはほんとうに可愛い人だ。
 間もなく。
「栞。風呂入れよ」
 と、声がしてドキリと心臓が音を立てた。びっくりして振り返ると、匠は頭を拭きながら部屋に入ってきていた。白いTシャツとショートパンツを穿いていて、いかにも湯上りだった。
 タオルで髪を拭いながら、もう片方の手で冷蔵庫を開けている。
「ああ。なんもねえ。ビールぐらい買って来ればよかった」
 と、のんきに呟いて、振り返った。
 お風呂、一緒に入ろうと思っていたのに。自分だけ入っちゃったんだ。
「なに? くちびる尖らせて。ふ〜ん。ひとりじゃ入れないって? ふふ〜ん。一緒に入ってやろうか?」
 不満を心の中だけで呟いたのに。聞こえてないはずなのに。
 カウンターキッチンから匠がやけに楽しげな顔でこっちを覗き込んだ。
「……いい。ひとりで入れる」
 私は着替えを乱暴に掴んで匠のそばをすり抜けた。
 なんなの?
『一緒に入ってやろうか?』
 ムカつく。
 まるちゃんの口癖のひとつを頭に浮かべて、お風呂に入った。
 お風呂から出て、パジャマを着て、髪の毛を乾かし、歯磨きをして部屋に戻ってくると、匠はお弁当を食べた小さいテーブルで新聞を広げていた。
「今日は疲れただろ? 先に寝てて」
 紙面から顔を上げない匠がイヤだった。
 私を無視して見てくれないんだもの。
「……もう、寝る」
 このひとことを言うだけでも、さらに疲れた気がして、布団に包まりベッドに転がった。
 匠に背を向けて丸くなる。
 静かな部屋にエアコンがか細く唸っているだけ。
 動かないでいると、部屋の灯りが落とされた。
 そろっと身動ぎし布団をめくって見ると、匠は手元スタンドの明かりで新聞を見ている。
 本当に寝ちゃうからね。
 私は元の姿勢に戻してギュッと目を瞑った。

(2014/02/28)


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