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 4.  あのベッド広そうだから3人でも十分いける

「そういえば、お腹空きましたね。なんでもいいですか?」
「理久くん。愛ちゃんのごはん、ばっつぐんに美味しいんだよ」
 誰かと比べているのか、そんなうれしいことを言ってくれる空に愛は気を良くして微笑んだ。
「じゃあ。簡単に親子丼にしちゃいましょうか」
 理久は病み上がりだから胃に優しい方がいいだろうし、丼物は子どもの好きなメニューだろう、と愛は考えた。
「親子丼……」
 理久は少し考える風に視線を上げた。
 空は「なあに? それ」と首を傾げている。
 理久の手が空の頭を撫でながら、「ああ。久しぶりの日本食だな」と呟いた。
「メイドが中国の人で、日本食を食べる機会がなかった。親子丼は久しぶりだ。空は食べたことがないかもしれない」
 理久の言葉に愛は「そうなんですね」と返した。
 愛にとっては日本食と言っても家庭料理しかなじみがない。そういえば、本格的な中華料理なんて作ったことがないな、とぼんやりと思う。
「じゃあ。空くんはパパとテレビでも見て待っててね」
 愛は手を洗ってから、お茶をグラスに入れてリビングのテーブルに運んだ。
「愛ちゃん。ぼく、作ってるところが見たいな」
 空から『愛ちゃん』と呼ばれて何とも言えない気分にさせられる。友人が愛を『愛ちゃん』と呼ぶのを聞いて倣っているようだが『ママ』と勘違いされるよりはいいと黙って顔を向けた。
 空の興味に愛は「いいよ」と頷いてキッチンに連れて行った。
 キッチンカウンターにある椅子に座らせると、空の瞳がキラキラと輝いている。
「そこからなら、料理を作ってるところがよく見えるでしょう?」
「うん。ぼく、理久くんに料理を作ってあげたいんだ」
 5歳の子どもの言うことではないだろう。愛は早熟な空に苦笑するしかなかった。
 冷凍庫にはあぶら揚げの刻んだものが、チルドには鶏もも肉が入っているはずだ。あと、平飼いされた鶏の卵があるので、美味しい卵で親子丼を作れば、さぞ美味しかろうと思ったのだ。
 親子丼を手早く作ると、朝作った蕪のみそ汁にあぶら揚げを足して温めた。それだけじゃさみしいだろうか、と常備菜のごぼうとれんこんの金平をトレーにのせ、ダイニングに運んだ。
「親子丼ってすごく美味しい! 卵がトロトロだね〜」
 空の満面の笑みに愛は吸い寄せられた。
「ほんとうだ。美味しい」
 理久も勢いよく箸を動かしかき込んでいる。
 愛は人に食べてもらえる喜びに浸っている自分が不思議に思えてならなかった。
 この先の未来、ずっとひとりでもいい。そうどこかで思っていたから。


「それで、この部屋は社宅なの? ぼくは聞いたこともないんだけど」
 理久のもっともな問いになんて答えようか。愛は思案顔で箸を置いた。
「ここは、元は社長の仮眠室として作られた部屋なんです」
 愛は社長の娘であることをカミングアウトするとともに、その部屋を借りていることを説明した。
「へえ。社長の娘がいるなんて初耳。じゃあここだけってことなんだ」
「え?」
「部屋はほかに何世帯かある訳じゃないんだね?」
「そうです。ここだけです」
 残念そうな顔で理久が頷いた。
「羨ましいね。ここに住めるなんて。通勤に苦労しなくていい」
 そうだ。エレベーターで降りるだけだから、満員電車に乗って痴漢に遭遇することもない。
 愛は得意げな笑顔を向けた。
「この部屋のことを知っている人間はどのくらいいるの?」
 考えてみたら単純に浮かぶ疑問だろう。
 顔を強張らせた愛は慌てて首を振る。
「社長と社長秘書だけです。ほかの誰にも言ってないんです。秘密にしてます」
 そう正直に告白した。
「秘密を守るという約束をするから、部屋が見つかるまでの間ここに居てもいいかな?」
 思いがけないお願い、いや要求に愛は目を見開いた。
 嫌とは言えない状況である。
 ここは会社の持ち物であり、私事で使っているとわかったらここを出なくてはならなくなるだろう。
 顔を青くして黙り込む愛の手を、小さな手が包み込んだ。
「愛ちゃん。ねえ。ぼく、ぜんぶ食べれたよ」
 空の丼はすでにからっぽになり、ごはんのひと粒さえも残っていない。
「きれいに食べてくれたのね。ありがとう」
 愛はホッとした表情を空に向けた。
 それとともに、頭を抱えたくなる問題にぶち当たり、懸命に考えるが解決策が見出せないでいる。
 はっきりとNO! を突き付けられない。
「あの。ベッドがひとつしかないんです!」
 見当違いの言葉が飛び出した。
 愛は暗に数日くらいなら許せる。でも、それ以上泊まるのはむずかしい、と仄めかすしかない。
「いいよ。あのベッド広そうだから3人でも十分いける」
 リビングと隣接しているベッドルームは、部屋に入った時に空が理久を案内していた。
 部屋のあちこちを理久は把握している。
 愛は先ほどからプライベートがどんどんと侵食されていくのを黙って見ているしかないのか、考えている。
 対策を練らなくては、と焦り出していた。
「3人? ……ベッドは空くんと使ってください」
 愛はまさかほんとうに3人で寝るなんてことにはならないだろうと思っていたし、実際にリビングに置いてあるソファーはわりと大きめなので人ひとりくらい余裕で寝られるサイズだ。問題はない。
 それでも、愛はリビングで寝るしかないのか、とため息を押し込めた。


「どうして川の字に寝てるんだろう?」
 ベッドの中で愛は人知れず呟いた。
 隣には空が寝息を立てている。その空の向こう側には理久が横になっている。
 やや大きめのイビキとも言えない寝息がのんきに聞こえて、愛は息を殺してため息を吐いた。
 ちっとも眠れやしない夜の気配に愛はまんじりともせず時間を過ごした。



  (2017/4/5)

   

イラストもずねこ

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