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 6.  芋息子ではダメっちゅうことやね

「わぁー!すっごーい!!」
 愛の車から降りた途端、空が飛び跳ねて叫んだ。
 見渡す限り緑に囲まれた自然豊かなところに興奮しているようだ。
 愛は空の子どもらしい様子に笑みを浮かべて見守った。
 祖母の家は人里離れたところにある。
 隣近所は見渡せない距離にぽつぽつ立っているだけの小さな集落で、卵の直売所はあるものの一通り揃うスーパーまでは車がないと行けない。
 辺ぴな場所を父も母も敬遠するが、愛は気に入っている。
 亡くなった祖母の家を譲り受けて喜ぶのは、一族では変わり者の愛くらいと思われている。
 二年前、大幅にリフォームして住みやすくしたので金曜日の夜に来て日曜日までゆっくりと過ごせるようになった。
 畑も愛が食べる分を育てる家庭菜園程度のもので、あとは実のなる木があれこれ植えられているので、自然に任せて採れるだけ楽しんでいる。
 素人だからたくさん収穫しようと思わないので気楽なものだ。
「あーいー」
 遠くから愛を呼ぶ声が聞こえて、愛は零れんばかりの笑顔で駆け出した。
 祖母の家の前の道は下り坂で、転げ落ちないように慎重に足を運んだ。
「なんだぁ。今週は帰ってこんのかとおふくろが気にしとったが、帰ったんか」
 隣の家に住む田中 正広たなか まさひろが愛に向かって竹籠を掲げて見せながら坂を上ってきていた。
 正広の家は卵専門農場を営みお取り寄せで人気の玉子焼きの工場も経営している。
「うん。おばさんに連絡もしないで心配かけちゃった。ごめんなさい」
「そんなこと気にすんな。元気ならいいんだ」
 ぶっきらぼうな言い方にも笑っていられるのは幼馴染の正広だから。愛は笑顔のまま手を伸ばした。
 いまでこそ愛は健康そのものだが、幼い頃は体が弱く喘息に苦しんだ。
 ここの空気が澄んでてキレイだからと、小学校を卒業するまで長期の休みは祖母の家で過ごしたものだ。
「卵。ありがとう! 使い切っちゃったから欲しかったの」
 卵を手渡され、愛は「いつもありがとう」と受け取った。
「愛ちゃん。このお兄ちゃんは誰?」
 いつの間に愛を追いかけてきたのか、空が愛と正広を交互に見上げていた。
「あ。空くん。この人は正広お兄ちゃんだよ。昨日の親子丼の卵は正広が育てた鶏の卵だから美味しかったの」
「親子丼、すっごく美味しかった。お兄ちゃんありがとう」
 空が無邪気な顔で言う。正広は頷くと、ふと顔を違う方へ向け愛に問う目を流した。
 愛は何と言って説明しようかと一瞬黙り込んだ。
「あのね。ぼくは高坂 空。5歳。それから、ぼくのお兄ちゃんで高坂 理久。30歳」
 空は正広に自己紹介をしっかりしていた。
 愛は、少し離れたところで所在なく立っている理久に「お兄ちゃん?」と呟いた。
 すぐに浮かんだのは『パパ』ではないということ。
「急に走り出して居なくなるからびっくりした」
 理久は正広に会釈してから、愛に面白くないと言い放った。
 愛も愛で理久の言葉に気づかないふりをして、空に話し掛けた。
「空くん。今からみかんを収穫しに行こう。それで正広の卵と物々交換するの」
「ぶつぶつこうかん?」
「空。物々交換は、物と物を直接交換することだよ」
 理久が説明した。
「この場合は、卵とみかんだな」
 空は理久の言うことを聞いて、「わかった」と頷いた。
「愛ちゃん。みかん、どこにある?」
「おばあちゃんのみかん山にあるの」
 祖母は小高い丘を利用して日当たりのいい場所にみかんの木を植えた。
 早生みかんはちょっと小ぶりだけど、甘みと酸味のバランスがいい愛の好きな味だ。
「正広。帰りにみかん届けるから、おばさんにもそう言っといて」
 正広は「ああ」と背を向けて鶏舎に戻って行った。
 みかん山に向けて愛は空と手を繋いで歩く。その後ろを理久はむっつりと黙り込んで歩いた。
 愛は理久のことをまだよく知らない。
 何を考えているのかわからなかったし、心の内まで踏み込むところまで立ち入るべきではないと思うのは上司だからだ。
 だからどうしてそんな顔をしているのか、聞けずみかんに意識を向けた。
 早生みかんの木は1本あるだけだから収穫するというほど大変ではない。
 まずひとつ採って皮をむき、ひと房を空の口に入れてあげた。
「うあ〜。酸っぱぁ……」
 空の口がすぼまり酸っぱい顔で頬を手で覆っている。
 早生みかんの採れたては想像するよりも酸っぱいのが特徴だ。爽やかで味が濃い。
 しばらく置くと、甘みが増し酸味も程よくなって食べやすくなる。
「酸っぱいね〜」
 涙目になっている空が可愛くて愛はギュッと抱き寄せた。
「今はまだ酸っぱいけど、『美味しくな〜れ』ってお願いすると美味しいみかんになるんだよ」
「みかん。甘くなるの?」
「うん。なるなる」
 空の機嫌が急浮上して、小さな手でハサミを握って腕を伸ばした。
 みかんを収穫するのは空にとってはまだむずかしくて、ヘタの部分を短く切るのは理久が手伝った。
 共同作業で見る間にみかんのカゴいっぱいになった。
 みかんの木には実をひとつだけ残す。
「実のなる木は来年もよく実るように祈りをこめて、わざと木にひとつだけ残しておくの」
 こうしてひとつだけ残す風習は昔からあって、最後に残した実のことを『木守り』と呼ぶんだそう。
 これも祖母から教わったことだ。
 みかんの収穫を終えると、畑に移動してネギと葉野菜、ニンジンを採ってから車に積み込み、隣の家に走らせた。
 この辺りの民家の中でひと際立派な家だ。玉子焼きで儲けて建てたということで『卵御殿』と呼ばれていた。
「おばさん。さきほどは卵をありがとう! これみかん。まだ酸っぱいからちょっと置いてから食べてください」
「愛ちゃん。今年もありがとう! おばあちゃんのみかんうれしいわ」
 祖母とずっと仲良くしてもらっていたから、そう言ってもらえるとありがたい。
「おや。見かけない顔だね。芸能人みたいな顔して。なんか都会の人って感じやね」
 道に止めた車からみかんのカゴを運んでくれた理久のことを、おばさんはそう言って大きな息を吐いた。
「あ〜あ。そうかそうか。芋息子ではダメっちゅうことやね」
 愛はその言葉をうまくくみ取れず、首を傾げる。
「芋、と言えば、畑の安納芋を来週には掘ろうと思ってて、正広に手伝ってもらいたいって伝えてください」
 おばさんのニヤニヤの意味を図りかねて愛は早々に車に引き上げた。
 みかんに野菜と卵。お肉など5日分の食材をショッピングセンターに寄って買い物をした。帰り道の途中で、理久と空の3人で回転寿司を食べて、会社の自宅に戻ったのは夜だった。
 車の中で寝てしまった空を理久が抱き上げてベッドに寝かせた。
「今日は慣れないことをして疲れたでしょう? お風呂に入って休んでください。空くんは明日の朝早く起こしてお風呂に入れるので、このまま寝かせてあげましょうか」
 愛の言うことに理久は頷き「今日はありがとう」と整った顔を緩ませた。



  (2017/5/2)

   

イラストもずねこ

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