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 7.  それなら、愛も騒いでくれる?

 空をベッドに寝かせた後のこと。
 理久から「お風呂の前にちょっとだけ話をしたい」と言われ、愛はコーヒーを淹れてリビングのソファーに落ち着いた。
 ふたりだけで向かい合わせて座るのは初めてで、愛の心はさざめいた。
 理久がコーヒーに口を付けて一息吐くと、少しだけ改まった表情で愛を見つめた。
 「空も言ってたことだけど」と断りを入れてから、理久は話し始めた。
「空はぼくの弟で間違いない。母親は空を生んだ時に死んでる」
 愛は理久の方を見たまま、カフェオレの入ったマグカップを握りしめた。
「空とは親子ほど年が離れてるから、弟っていうよりも息子と思われる。愛に『パパ』って言われても否定しなかったし勘違いさせたと思う。……嘘を吐くつもりはなかった。悪かった」
 頭を下げる理久に、愛は何も言えず首を微かに振って否定した。
「母親は自由な人だったから、ぼくと空の父親は結局誰だか分からないままだ」
 かなり重い告白なのに、苦し気な顔もせず淡々と話す理久に愛は逆に胸が痛んだ。
「空くんにとって、課長は兄でもあり父親代わりってことですね」
「ああ。そんなとこ。空は早く『ママ』がほしい、って言うけど。ぼくにはそんな奇特な人は現れそうにない」
 理久の自虐的とも言える言葉に、そうでもないんじゃ、と愛は首を傾げる。
 理久くらい見栄えが良く、仕事のできる男性なら、すぐにでも立候補する女性が現れそうなものなのに、と視線を理久に向けた。
「課長。わたし、課長の会社での評判を聞いたんですよ。すっごく人気があるんですってね? だから、きっと選びたい放題じゃないんですか?」
 愛は湿った空気を明るく変えるべく笑顔で話し掛けた。
「……人気とか、どうだろ。海外帰りが珍しいってだけじゃない?」
「いいえ。整った顔立ちで背も高くって格好いいって。それだけで女子は騒ぎますから」
「ふ〜ん。それなら、愛も騒いでくれる?」
 理久の含んだ顔に愛はドキリとさせられる。
 でも、愛は騒ぐ渦中の人にはなりえない遠い存在に違いない。どちらかというと男女の機微には疎く消極的だ。
「……わたしは、そういうの、苦手なんです」
 無難な言葉で片づけようと愛は話の腰を折って立ち上がった。
「今日はたくさん働いて、課長はとくに病み上がりなんですから早く休んだ方がいいですよ。……わたし、お風呂入れてきますね」
 愛はマグカップをキッチンシンクに置いてからバスルームに向かった。


 理久は愛の後姿が見えなくなるまで目で追っていたことに気づき、自分を嘲笑うかの表情で息を吐いた。
 いつの間にか飲み干して空になったマグカップを持ってキッチンに向かう。
 愛のマグカップもいっしょに洗おうと手を動かす。
 ずぼらなところもあるが、まったくやらない訳ではない。
 これでも空を育ててきた自負がある。
 慣れた手つきでゆすぎ終えると、キッチンに戻ってきた愛が、ふきんを片手に洗い終えたマグカップに手を伸ばした。
 理久はふと顔の表情をゆるめると、愛の手にマグカップを握らせずに、華奢な手を掴んで握りしめた。
「明日から仕事でもいっしょだな。……公私ともによろしく頼むよ」
 愛は咄嗟のことに付いていけず握られた手を見た。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
 愛は手が水で濡れてしまったことに唇を尖らせながら理久を見上げると、理久は綺麗な笑みを愛に向け、今度こそマグカップを渡した。
 愛はほんの少しだけ鼓動が早まるのを自覚し、すっかり水気がなくなったマグカップを必要以上に拭き上げている自分に戸惑いを覚えた。



続く  (2017/6/8)

   

イラストもずねこ

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