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 第一章 「満ち足りぬ顔」 3.   by 航

<―― 帰りたい。海を見たいの。―― 帰りたい。帰りたい>

 真っ暗な夜の空からは、大粒の雨が降っていた。
 目をつぶると、母の叫びが再び聞こえてきそうだった。
 だけど。
  いまさら、あんなとこに帰ってどうすんだよ。なにがあんだよ。
 心の中で母を責めたてた。

 母は伊勢湾に囲まれた沿岸漁業の盛んな港で育った。
 全国的にはサーキットやレースの町、と言ったら知っている人も多いだろうか。
 レース開催時には、風向きも手伝って市街地にエンジン音が響き渡る。その時には、ヘリコプターも多く飛ぶ。
 一年に一度の大きなレースが今年もやってきた、と心踊ったものだ。
 毎年ではなかったけれど、母に連れて行ってもらったことも何度かある。
 母はずっと地元だけで過ごし、二十歳の時、親戚の勧めで漁師と結婚。数年後には、ぼくを生んでいる。
 漁師の妻にしては、色も白く、線の細い美しい人で、十代の頃には地元のミスコンにも選ばれるほどの器量があった。
 寡黙で何を考えているのか分からない父と、いつもその隣で微笑む母は、ぼくには理解できない夫婦だった。と、今なら思う。
 そんな父は、ぼくが小学校二年の時に、海に出て行方不明になった。
 船だけが沖合いで見つかり、魚艙にはカタクチイワシが入っていた。
 父は戻ってこなかった。
 そのあと、母はそれまでパートで働いていた市場を辞め、給料のいい地元のホテルで働き、ぼくをひとりで育てた。
 それから八年後の春、都会にでて今の父と再婚した。
 義父との出会いは、ホテルでフロントスタッフとして働く母を義父が見初めたらしい。
 文字通り、故郷での暮らしには良い思い出がなかった。
 悲しみ、苦しみ、諦めの気持ちが、楽しかった思い出をすべて消し去ってしまった。

 深夜。
 タクシーの車窓を眺めると、窓ガラスを雨粒が走る。
 滲んだ水粒がいびつな形を作り、後ろに動いていく。まんじりともせず眺めた。
 その日の夕方、入院した母のことを想った。
 そして、あの嵐のような荒波の中、出航していった親父を想った。


 その日の午前中。
 義兄に背中を押され会社を出て、正月ぶりの実家に戻った。
「お袋?」
 閉じ篭っているという母の部屋の扉を叩いた。
「航だけど。お袋、いる?」
「わたるちゃん?」
 部屋の中から聞こえた小さくて掠れた声に、ドキリとする。
 ちゃん? ぼくのことを、ちゃん、だって?
 ちゃん付けで呼ばれたのは保育園の時以来だろうか。
 不自然な呼びかけに、違和感を覚えながら部屋に入った。
 むっ、とする淀んだ空気。真っ暗な部屋。
 人を受け付けない、どす黒い色をした何かがそこにはあった。
 すえたような臭いが鼻を衝き、あと数歩で母のところだというのに、足を止めていた。
 その場の空気を吸い込むのも躊躇われ、ぼくは息を詰めた。
「父さんから、聞いてきたんだけど、お袋、調子悪いんだって?」
 天気は悪いが、それでも日中の明るい時間にカーテンを閉め切ったままで、電気も点けない部屋でいったい何をしているのか。
 ただ、布団の膨らみから横になっていると窺うことができる程度の灯りが廊下から射し込んでいる。それだけが頼りだった。
 ぼくは母に断ることなく、ベッド脇にある電気スタンドを点けた。
 横になっている姿が確認でき、その横顔は弱弱しい病人そのものに見えた。
 天井を見つめていたのか、宙を見ていたのか、母は眩しそうに目を瞬かせると、布団の中でぼくの方に体をのろのろと動かした。
「わたる、ちゃん?」
 たどたどしい言葉でぼくの名前を呟いた。
「ああ、そうだけど。お袋、どっか悪いの?」
「……」
 返事はなく、色のない顔が不自然に笑っていた。
 こんな笑い方をする人だっただろうか。
「顔色が悪いけど、ちゃんと食べてるの? ……風呂だって、入ってるの?」
「……わたるちゃん。おかあさんと、かえりましょうね」
「は? ……帰るって、どこに」
 ぼくの心配など知らないように、母は帰りたい、とだけ言った。
 つぶやくように、繰り返している。
 尋常ではない顔色に、もはやそのまま置いておくことはできなかった。負ぶってでも病院に連れて行かなくてはいけない、と思った。
 帰りたい、と繰り返す母は、まるで駄々をこねる子どものようだ。
「それよりも、どっか体が悪いんだったら、病院で診てもわないと。故郷に帰りたいんだったら、元気にならなくっちゃ駄目だろ?」
 なだめるように言い聞かせる。
 だが言った端から、帰りたい、帰りたいの、と言う母。
 どうしようもないな、という思いと、だからって放ってはおけないだろうって思いが重なる。
 床にはアルバムから抜き取られた写真が散らばっていた。
 拾い集めてみる。
 ほとんどが海の写真だ。 青い色でない写真を選んで目を通した。
 それにはたいがい人物が写っている。
 どこかの部屋の中。畳に座って、酒を飲んでいるもの。誰だったか分からない写真もあるが、親父の兄弟や近所の連れたち。どれも日に焼けた赤黒い顔の漁師たち。
 撮っている本人は、まったく写ってやしない。
 時化で漁に出られない時など、親父はカメラを首からぶら下げていた。
 よく憶えているのは親父の定番スタイル。白いタオルで頭を包み後ろでキツク結び、ぼっさぼさの寝癖を隠していたんだっけ。夏は白いTシャツ、白とブルーのストライプのパンツを腹んところで結んで穿いていた。
 ぼくはアイスをねだって、パンツの紐を引っ張ってよく叱られたものだ。 目線の先にはいつも紐がぶら下がっていた。
 それを辿ると、ぼくを見るファインダー越しの優しい色の目。笑うと両えくぼがあった。
 写真が趣味で、無類の酒好きだったよな、親父は。
 久しぶりにはっきりと思い出して胸が熱いと自覚する。今なら分かる。親父は飾らないふだんの姿を撮るのが好きだったんだ、と。 それに、ぼくのことを大事にしてくれた。
 写真のぼくは小さい。
 ぼくの顔よりも大きなスイカをかぶりついているもの。ふざけて指を鼻ん穴に突っ込んで笑っているもの。棒つきのアイスを得意そうに食べるぼく。
 大人になった今では、ほかの誰かに見せたくない写真ばかりだ。
 思いのほか枚数が多かった。ざっと広い集めただけでも、百枚くらいは軽くあった。
   写真だけではない。脱ぎ散らかされた服や、新聞。いろいろなものが放置されている。
 こんなに散らかすなんて考えられない。
 不機嫌になりそうな気持ちを抑え、足の踏み場のない床をぬって窓まで歩いた。
 澱みきった空気を入れ替えるようにカーテンを開け、窓を開け放った。
 あまりいい天気ではない。空気が重く感じられるのは一雨きそうな雲行きだからか。
 風が吹き込んでアイボリーのカーテンが揺れ動いた。
 多少寒くても換気が必要なほど、空気が汚れている。
 母のところに戻り、布団を捲くった。
 うっ、と口元を覆い、吐き気を抑えた。
 汚物の臭いで胸から込み上げそうになるのを必死で堪える。
 母の羞恥も考えられないほど顔を歪め、目の前の現状を必死で捉えていた。
 いつから、こんな状態なんだ?
 母は、洋服のままで寝ていた。
 服とスカートは皺くちゃで、下半身は濡れそぼっていた。
 異様というしかない。
 ベッドのシーツは色まで変わっていた。
 汚い話、糞尿をそのまま垂れ流して過ごしていたらしい。
 よく見ると、枕元にあるサイドテーブルにはお盆が乗っていて、朝食だろうか、手の付けられていないパンとフルーツヨーグルト、サラダ、コーヒーが上品に盛り付けられていた。
 ぼくは、お手伝いの京子さんを呼んだ。

(2009/11/16)


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