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 第一章 「満ち足りぬ顔」 4.  by 航

「航さま」
 そう呼ぶのは家事を任しているお手伝いさんだ。
 十年ほど前から世話になっている、七十二歳になる京子さんが丁寧なお辞儀をしてから心配そうに母の方を見た。
 廊下から入って来ようとしない京子さんを、ぼくは招き入れた。
「いつから、こんな状態なの?」
 おずおずと入ってくる京子さんに尋ねた。
「はい。奥さまは、……三ヶ月ほど前から急に外出されなくなりました。それから、だんだん部屋からもお出にならず、ここ二週間ほどは部屋に篭られています。奥さまからは、食事を運ぶ以外は入らないように言われまして……。大変申し訳ございません」
 京子さんは小さな体を折り曲げながら嗚咽の漏れる口元を必死に押えていた。
 この様子だと、大分思い詰めていたのだろう。責めてもしょうがない。怒りもないし叱ろうとも思わなかった。
「そうか。何も京子さんが泣くことはない。もう泣かないで。大丈夫だから」
 きゅっと固めた肩をさすり、できるだけ優しく言い含め慰めた。
「恐れ入ります」
 京子さんは涙を零しながら、また首を垂れる。
「こんな状態じゃ駄目だよな。荒療治だけどさ、協力してくれる?」
 ぼくの<協力>という言葉に京子さんは濡らしたままの顔を上げた。
「このままじゃ、お袋を病院にも連れて行けないだろう? 風呂の用意をしてくれないか。ぼくがお袋を入れるから」
「……航さま」
 京子さんはびっくりしたようにぼくを見上げると、また涙を溢れさせ目を覆った。
 よほど気に病んでいたのだろう。
 長く仕えてくれていて、真面目な働きぶり以外に悪いことも聞いたことがなかった。ここまでになるには、いろいろな気苦労があっただろうと察する。
 義父のことだから朝早く出勤し、帰るのは深夜。夫婦の寝室を別にしているし、寝ている母を優しい義父が起こす筈もない。夫婦間それが当たり前の生活として慣らされている。
 義父としても、気づきもしなかったことだろう。
 京子さんにしても、だ。仕えている身としてはこれほど言い辛いことはないだろう。
 責める気持ちよりも、よく逃げ出さずにいてくれたと思う。
 いますぐにやれることから腰を上げるしかない。
 風呂、か。
 母と風呂に入るのなんて、何年ぶりだろう? 光景すら思い出せない昔か、……たぶん小学校に上がる前だから、二十年以上前のことなんだな、と思った。
「承知いたしました。すぐに準備いたします。あの、航さま、お連れしてさえいただければ、私が洗って差し上げますので」
 そう言うと、深々と頭を下げ急ぎ足で出ていった。
 京子さんと話している間も、母はぶつぶつと何かを言っていた。
「お袋、故郷に帰りたいなら、風呂に入ってきれいにしないとな。こんな形じゃ外には出られないだろう?」
 母はびくりと体を震わせ、言葉を止めた。
 大きな声を出したつもりもないのに、何かにひどく怯えているように見えた。
 虚ろな目は、まるで生気が感じられず、ぼくとも視線が交わらなかった。
「航さま、お風呂が入りました。お願いいたします」
 廊下からの声。振り返ると、半そで短パン姿で京子さんが立っていた。
 年老いた女性の格好に目を丸く剥いたことを、おくびにも出さないよう平静を装った。
「京子さん、悪いな。頼みます」
「はい。承知いたしました」
 ここから、ぼくは躊躇わなかった。
 布団を剥ぎ取り、汚れた洋服をそのままに母を抱き上げると、バスルームまで運んだ。
 軽かった。
 こんなに痩せていただろうか。母は驚くほど小さくなっていた。
 もともと太ってもいない体型だったと記憶にあり、それでも腰の細さに胸を掴まれたようだった。
 風呂の洗い場で着ているものを脱がせ始めた。
 母は恥ずかしがることもなく、されるままにじっとしている。
 京子さんに母の着替えを頼むと、すでに用意されていて、その後の病院の手配にまで機転を利かせてくれていた。
 正直、七十歳を過ぎたとは思えない働きぶりだった。
 ぼくもすでにトランクス一枚になって、洗う準備は万端だ。
「お袋、体を洗うと気持ちいいから、大人しく洗わせろよ」
 暴れるようには見えなかったが、こちらの方としても若干の照れがある。
 さすがに、いい年の母親の身体を洗うとは思ってもみなかったから、じろじろとは見てはいられない。
「航さま。私も入ってよろしゅうございますか?」
 脱衣場から京子さんの声がかかった。
「ああ。頼むよ。お願いしたい」
 ぼくは内心助かった、と思った。
 自分自身を洗うことに躊躇う人はいないだろうが、ほかの人の身体を洗うっていうのは戸惑う。どんな風に順序立てて洗えばいいのか分からなかった。
 いつもどこから洗ってるんだっけ? そんな初歩的なところで躓き頭を抱えたくなった。
「失礼します」
 そう言って入ってきた京子さんはもう泣いてはいなかった。小柄に見えても頼もしい動きをみせる。
 母は逆らうことはなかったが、自分から洗うこともしなかった。どこか焦点が定まらず、まるで赤ん坊に戻ったみたい。そんな表現がうまく当てはまる。
 京子さんに洗ってもらう間、気持ちはよろしいですか? と問われ、母は始終笑みを浮かべていた。
 小一時間ほどかかって風呂に入れ、ホッとしたのも束の間。
 母はものすごい勢いで食事を始めた。
 それは京子さんも驚くほどで。
 ぼくと京子さんは何度も顔を見合わせた。
 引き篭もりの間、ほとんど食べていなかったらしい母のことを、
「よほどお腹が空いていらしたのでしょう」
と、京子さんは安心したように笑った。
 その後、予約しておいた病院で母を診てもらった。
 その日のうちに母は検査入院することになり、京子さんをうちに送り届けてから会社に報告に戻った。
 会社で心配していた義父と義兄に一部始終話した。
 義父は、すまなそうに聞き、不安な表情のまま押し黙った。
 力強い社長の顔を持つ義父が、母を大切にするあまり、強く言ったり行動できない一面を持つとは考え難かったが、その顔は明らかに愛する人を想うものだった。

 出張の一ヶ月は、すぐに過ぎていった。
 仕事に掛かりきりになり母のことを思う余裕がなかった、というところだ。
 ぼくは帰国の途に着き、そこで思いも寄らない事実を聞かされる。
 若年性アルツハイマー。
 これが母の病名だ。
 検査入院で行われたことの報告を受けた。
 PETスキャン、脳機能テスト、記憶テストの三つ。
 義父がうなだれた状態で、だけど一字一句間違えないように話してくれた。
 若年性アルツハイマーという病気の説明を。
 PETスキャン検査で脳に不活発な部分が見られたこと。脳機能テストで計算能力やそのほかの機能が低下していることなど。
 リハビリや生活改善をするなど努力をしても、病気は進行するというので、ドネペジルという治療薬を服用して進行を遅らせること。また同時に行動療法も有効的な治療法である、と。
 放っておくと近い将来は寝たきりになってしまうことが多い、と。
 突然強い力で殴られたのを数秒後に理解する、そんな感覚で言葉を聞いていた。
 すぐには声が出せなかった。
 まさか。
 どうして、お袋が?
 どうしてそんな病気になるんだ?
 考えても考えても、答えなんか出なかった。
 仕事が手につかず、会社を出た。
 何度か同僚に声を掛けられた気もするが、ぼくには余裕がなかった。
 とにかく母の様子を見ようと実家に向かった。
 ぼくは義父の言うことを、どこかで間違えである、と都合よく思いたかったから。
 重く受け止めるには、あまりにも現実は残酷だった。

(2009/12/10)


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