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 第二章 「空っぽのお腹」 2.  by 奈都

 そのおばさんも、ここ三ヶ月ほどは連絡が来ない。
 社長夫人。
 まさにそういう風情。
 母とはちがう白く上品な顔はとても美しく、見てるこっちまで幸せにしてくれる。
 そして、いつもわたしなんかを褒めてくれるんだ。
『なっちゃんに綺麗にしてもらってるから、留守にしてるのに篭った嫌な臭いひとつしないわ。いつもありがとう』
 そうでしょ! そうでしょうとも。空気なんて澱むはずがない。なにしろここで毎日生活してるんだから。
 掃除だって欠かさないもの。食べものの匂いをさせてもきちんと換気はするし片付ける。
 そうは言ってもなぁ。今、この状態で踏み込まれたら、言い訳は出来ないけど……。
 今日のおやつの内容を思い出してみる。
 炊飯器のお米三合を海苔の佃煮で釜ごとカレースプーンでぺろりと平らげた。
 それから、……と。目を動かしてビニールのパッケージのひとつをつまみ上げた。
 そうだ。ごはんだけでは飽きちゃうから、食パン一斤とその合間にシュークリームを二つ、エクレアを三つ。クリームオンしたコーヒーゼリーを二つ。コンビニで買ったメロンパンを二つ。三連プリンを計六個。
 締めて、今日の夕食前のわたしのおやつだ。
 これを二時間ほどかけて胃袋に詰め込んだ。
 一日の間食に、二千円くらいは使っている。
 学校から帰ると夕食までの時間をひたすら食べまくり過ごす。
 これだけすべてを食べきっても、なにか物足りない、わたし。
 だからってこれ以上食べて母みたいに身にぷくぷくついちゃうのは困る。
 母のお腹に贅肉がついて、くびれのなくなった身体を想像した。
 身近な存在。母のスカート姿。ウエストのゴムの上に乗っかったお腹の肉。スカートの中に収まることはなく、あふれ出した贅肉を、たぷんたぷん言わせて歩いてく後姿。
 ああ。イヤだ。ため息が出ちゃう。
 ああはなりたくない。わたしは無言で首を振った。
 詳細に思い出して、気持ち悪くなった。
 痩せっぽっち、と言われようと、太りたくはない。
 だから、どんなに食べたとしても、トイレですべてを吐き尽くす。
 おやつを食べる時にかかせないもの。水。二リットルのペットボトルに入れた水を、食べながら、こまめに飲む。
 なぜって? 吐く時に楽だから。
 おやつを選ぶ条件もわたしなりに決めていて、渇いた食べ物はNG。
 ポテチとかのスナック類は吐き難い。胃の中で膨張してへばり付く感じがするから。
 好きな食べ物であることは当然だけど、吐きにくい食べ物は口にしないのがモットー。
 とくに、餅なんてものは、ぜったいに駄目。
 あんなものを逆流させたら、苦しくって窒息死は免れないから。
 今も食べたい衝動を抑えられないし、お腹を満たすために食べているのに、いざ食べ始めると、食べ過ぎたとすぐに後悔する。
 太らない程度の量ではぜんぜん満たされず、人が見たら驚くだろうたくさんの食べ物を胃に詰め込む。
 一番恐れることは、太っちゃうこと。
 いつから体形を気にし出したんだろう? たぶん、あれだ。
 ダイエット。
 中学に入ってから、自分の身体が急速に丸みを帯びてきた。食欲にまかせて食べる量が増えたからかもしれない。
 ダイエットを始めた切欠が、ちょうどあの頃だった。
 双子の妹よりも太ってしまうのが嫌という気持ちが大きかった。
 鏡を映したみたいに似ている、とよく言われる双子の姉妹。
 わたしは姉の奈都(なつ)。妹は美香(みか)。
 外見だけは恐ろしくそっくりで、小さい時はお揃いの服を好んで着て、髪型も同じにしていた。
 でも、中身なんかはまるきり似ていない。
 わたしたちは、中高一貫の六年制に通っていて、今は五年生。
 美香は勉強が良くできて、成績は学年でトップクラス。性格も明るくて友達も多い。
 父も母も素直な美香の方が絶対に好きに違いない、と思っている。
 わたしは、というと、勉強なんてからっきし駄目で、成績は底辺あたりをうろちょろしている。性格も暗いし、ほとんど誰ともしゃべらない。中学に入ってからの友達はひとりもいない。
 どうして双子なんかに生まれちゃったかな。
 ダメダメな根性なしのわたし。
 双子の姉は、ほんとうは美香の方じゃないんだろうか。父も母もうっかりしたところがあるから、小さい時に見間違ったとか?
 そうだったらいいのに、と何度思ったことか。
 そんなことは、どうでもいいのかもしれないけど、双子姉妹、というだけで注目されるのは最初だけ。
 あとは妹の美香だけが目立って、わたしのことは、『双子の暗い方』という、名前すら覚えてもらえない。
 それは学校だけじゃなく、父も母も同じ。
 わたしのことを空気みたいに思うのか、まったくの無関心。それはおもしろいほどに。
 だからといって、家庭環境には汚い家を除いて、今のところ不満はない。

 父は漁師。遠洋漁業で仕事に出ると二ヶ月は帰ってこない。
 母は保険の外交員。『保険のおばちゃん』としてフルタイムで働いている。
 両親共働きの家庭で、わたしたち双子はわりと自由にしていられる。
 たぶん、金銭的にも余裕のある方じゃないかな?
 子どもふたりを同時に私立に通わせて、生活苦など、と喘いではいない。
 この通り、うちにはぎゃんぎゃんと吠え煩くいう人もいないし、楽しいものだ。
 でも、今なら思う。 無理して私立中学に入学しなければよかった、と。
 双子だからと比較され、妹は良くできるのに、姉の方はね……。と、聞こえはしないけど、皆の目はそう語っている。
 わたしは、そのたびに浅く呼吸を繰り返し、気配を隠す。
 そのストレスを食べるエネルギーに変えて爆発させているんだ。
 その行動は一種の麻薬みたいなもの。終わりのない食欲。食べたことをリセットする衝動。
 どうしてやめられないんだろう。
 わたしだって、馬鹿なりにこんなことは、おかしな行動だってわかっている。
 調べもした。
 学校帰りに図書館に寄って、その手の書物を読み漁ったこともあった。
 なになに? 食べることで脳内にはドーパミンが分泌されるんだって?
 ふ〜ん。このドーパミンは、脳細胞に快感と覚醒を与える物質で『脳内麻薬』とも呼ばれる。
 で、食べて食べてするとドーパミンの大洪水でバランスが崩れて過食に走ってしまうんだって。
 そうか、依存するってことは、簡単にやめられないってこと。
 お腹がはち切れそうになるまで詰め込んで、もう食べらんないって限界になると、一気に食べたもの全部吐き出す。
 すっきりするのだ。すっごく。
 胃が空になった時のなんとも言えない爽快感。
 それはドーパミンというものかはわかんないけど、快感とも呼べるものかもしれない。
 けれど、吐いたらそれで終わりではない。
 疲れた身体を引きずって、洗面所に向かうんだ。
 欠かさず歯磨きをして、虐めた自分の身体のケアに当たる。
 吐くということは一度お腹に入れた食べ物を逆流させ、口から出すために、本来上がってこない胃酸が食べ物とともに食道や口の中の粘膜を傷つけ、さらには歯を傷めてしまうんだって。
 そのまま放っておくと口の中が荒れ、胃酸で歯が溶かされてしまう。
 それを防ぐために歯を磨く。
 にこっ、と笑ったはいい。歯が溶けていたり、欠けていてはカワイイ顔が台無しだ。
 自分で言うのもどうかって思うけど、他人から双子の美人姉妹、と言われている。
 それなりに美への追求は怠らないし、身の回りにも気を使う。
 小まめに美容院に通い、枝毛のないつやつやヘアーを保ち、肩下三十センチの髪は重たくならないようにシャギーを入れ、野暮ったくならないように気をつけている。
 見た目と行動のギャップがあってはならない。
 決して、外にはこの過食嘔吐を知られてはならない。
 知られたら、わたしの人生はおしまいだ。

(2015/10/9)



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