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 終章 「海の声抱けば」 4.  by 奈都

「奈都。平気? 寒くない?」
 ここのところ、航さんは心配性に拍車がかかってるんじゃないかって思うほど、わたしを構う。
 「平気。寒くないよ」と答えると、航さんは目を細めてから遠い空の先を指差した。
「ひこうき雲! 見っけ」
「あ〜。ほんとだぁ」
 上空は冷えているのだろう、くっきりとした白い筋が浮いている。
「今日の空は、ひこうき雲が映えるね」
「ああ。低いところに雲が片寄ってて空の青さが際立ってる」
 今日は、初夏の海を見に来ていた。
 かあさんに会いたくなると決まって海へ向けて散歩をする。
 海岸線の消波ブロックとその先の風景。磯の匂いを濃く感じるこの場所がこの上なく好きだ。


 もうひとつ春を越え、双子の妹の美香は東京の大学に進学を果たした。
 なんと真面目なはずの美香は、同級生の高木くんといつのまにかくっ付いていた。
 いま、ふたりは航さんが残してきたマンションを借りて同棲している。
 仲良くやっているらしい。
 直接見てる訳ではないけれど、しょっちゅうメッセージが送られてくる。
 なかでも料理に関することが多い。
 美香はものすごく料理音痴な上、イメージで料理してしまうのでとんでもないものが出来上がってしまうらしい。
 ときどき、高木くんから写メが届く。
 今日も。
 お好み焼きの姿をしているけど、ハンバーグなんだとか。
 塩コショウなどの調味料と繋ぎになる卵とパン粉を入れ忘れたぼそぼそのハンバーグを食べさせられそうになって、高木くんがリメイクしたという。
 いちおう合作料理ということだ。
 単に味のないハンバーグの上にお好みソースとマヨネーズをこってりと絞ってあるだけの失敗料理なんだけど。
 それを自慢されてもな〜、と笑いをかみ殺し航さんに写真を見せた。
 「相変わらずなんだね」とおかしそうに笑っている。
 既読がついたメッセージに返事をした。

 ――お好み焼き、美味しそう。
 ――ハンバーグだけどな。
 ――美香に伝えて! 来年には「おばさん」になれそうよ、って。

 数秒も経たず、スマホからメロディーが流れた。
「おばちゃん、慌てて電話してきたね」
 わたしはまだ膨らみのないお腹を撫でて話し掛けた。
『な、な、な、な、なにやってんの?』
 美香の焦った声が聞こえてきた。
 『やったからできたに決まってんだろ』と相変わらずの高木くんの声が漏れている。
『もう。高木くんは黙ってて!』
 美香の怒った声と高木くんの平然と返す声が丸聞こえだ。
 喧嘩するほど仲がいいって思いながら話しかけた。
「夏休みには一度、ふたりで帰っておいでよ。その時に入籍しようと思ってるから」
『うん。夏休みに入ったら連絡する』
「ん。そうして」
『なっちゃん?』
「ん?」
『……おめでと』
 美香のちょっと照れたような顔が浮かぶ。
「ん。ありがと」
 わたしは、くすぐったい気持ちで答えた。


 後ろから抱き寄せられて、航さんの腕の中にすっぽりと包まれた。
 幸せだな〜、と思いながら力を抜いて航さんに身体を預けてぼ〜っと海を眺める。
 よく飽きないな、と自分でも呆れるけど海と空の繋ぎ目を凝らして見たり、波のリズムを感じたり、頭の中で誰ともなく話しかけていると、あっという間に時間が過ぎていく。
 気ままな時を過ごした後は、身体も心もリフレッシュできたように感じられるのだ。
 満たされたな〜、と。
「ちょっと風が出てきたね。かあさんたちにも赤ちゃんのことを報告できたし。うちに帰りますか! パパ?」
「そうだね。ママ。身体が冷えてもいけないし。東京に送らなきゃならない仕事もあるし」
 航さんは在宅で仕事をしている。いずれは東京に戻らなくてはならないけど、いまはお父さんとお兄さんに甘えさせてもらっている。
「じゃあ。航さんが仕事してる間に、夕ごはん作ろっかな」
「うん。なにを作ってくれる?」
「ん〜。なんにしようか?」
 わたしは、冷蔵庫の中身と献立を思い巡らせてみる。
 つわりは軽い方で、どちらかというと食べていた方が調子がいい。お腹が空くと気持ちが悪いから、ついダラダラと食べ過ぎてしまう。そのうち太らないように気を付けないといけないのかもしれない。
「航さんは、なにを食べたい?」
「う〜ん。……ハンバーグ? いや、お好み焼きもいいね」
「それって、美香の失敗ハンバーグ?」
 ぶはっと、航さんが噴き出した。
「な訳ないけど、怖いものみたさ? 興味はあるよ」
 それに、わたしは首をすくめて見せた。
「よし! 美香に負けないお好み焼きハンバーグを作ってみせよう♪」
 わたしの意気込みに頷いた航さんは、海の方にもう一度目をやり柔らかく微笑んだ。


 手を繋いで歩く帰り道。
 いつか三人で、海と家を結ぶこの道を歩くだろう、そう遠くない未来を想像してみた。
 パパと子どもとわたしが、繋いだ手を揺らして歩く姿が浮かび上がった。
 隣を見上げると、優しい目でわたしを見つめる航さんがいた。
 なんとなくふたりでふんわりと微笑み合ったり、意味もなく繋いだ手に力を込めてみたりして歩いた。
 家の前で立ち止まる。
 ふと見上げると、海の彼方に浮かぶ月が見えた。
「赤ちゃんってね、月が満ちると生まれてくるんだって」
「十月十日っていうよね」
「ん。……今夜みたいな満月の日に生まれることが多いんだって」
「へえ。月が満ちる時か。神秘的だね」
「ん。なにか想像もできない力が世の中にはあるのかもしれないけど、出産は鼻からスイカを出すくらい痛いらしい」
「ああ。どこかで聞いたことがあるような……」
 まだどこか現実味がないせいか身体の変化に心が付いていっていない。
 それは、きっと航さんもだろう。
 十月経った頃には、きっと母の自覚が芽生えているはずだ。
「痛いのを乗り越えなきゃ赤ちゃんには会えないんだから、がんばるしかないんだけど、ちょっと怖いな」
「そうだね。でも、どんな時もずっと、ぼくがそばについてるから」
 頼もしい旦那様になりそう、とわたしは笑顔で返す。
 航さんといっしょに、我が子を愛情いっぱいに育てたいと思う。
 愛すべきこの海辺の町が、わたしたちの原点だ。

(完)
 (2017/2/6)


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