6. で。今、オトコの息子の車に乗せられている。 若いのに、嫌味っぽいスポーツタイプの外車だ。 なんとも言えないお腹にくるエンジン音と、革張りのシートの匂いが微かに香って、心地の悪さに拍車をかける。名前も値段も分からない車は、きっと高級なんだろう。あたしとは無縁なもの。 深夜のドライブを楽しむようにハンドルを握る手は、大きくて安定感がある。指が滑らかに動くのを黙って横目で見た。 どこに向かっているのかも、分からない。 居づらいし、この沈黙は、息苦しい。 このひとも、オトコといっしょで無口なのだろうか? 名も知らぬ人の車に乗るのは、生まれて初めてで。あたしは助手席で縮まった。 沈黙の続く中で、あたしはいろいろと考えた。 どうしたら、このひととスムーズに話すことができるか、とか。 まるで生活感が違っていそうな人の食べそうなものなんかを想像するように、隣をチラ見する。 暗がりの中でも光って見える、高価そうな腕時計。気取った人なのかな? そういう人って、フレンチやイタリアン、有名な料亭の味に慣れてそうだ。 あたしが食事を作るといっても、口に合うものができるかなんて、わからない。 あたしの料理は、小料理屋を営む母の親友から教わった『おふくろの味』だから。 その『おふくろの味』をオトコはおいしそうに食べた。 オトコは大きな企業の社長だけど、高級な料理よりも家庭的なものを好んだ。 外で食べるよりも、むしろ進んで家でとろうとした。 「優ちゃんの作ったものは、どれもおいしい」 そうやって、よく褒めてもらった。 最初に作ったものは、カレーライスだったな。 たくさんの玉ねぎと、細かく刻んだにんじんと、大きめに切ったじゃがいもに、その日のお買い得だった牛の細切れ肉を炒めて、ことことと煮込んだごく一般家庭で食べるカレーだった。 松阪牛とか高級な食材を使わない、オトコにとってはびっくりするほどの安上がりなメニューがいつも食卓に上っていたのだ。 それをうれしそうに微笑んで、食べてくれたのを憶えている。 「なにが食べたい?」 運転席から投げられた。 突然の質問に、頭の中がびっくりして、それまで考えていた機能を停止する。 「ふん。聞いてやってるのに、答えないんだ」 いい根性じゃない、と、わざとらしい溜め息を吐いた。 「……すみません。何でも、いただきます」 そういえば、お昼を食べていないせいで、今にもお腹が鳴りそうだ。 意地悪したつもりなんてなく、ただ物思いに耽りすぎていたから。 でも、そんな言い訳なんか、聞きたくないだろう。 だから、あえて食べたいものを言うなら、……牛丼? だろうか。 安くて、早くて、お腹を満たしてくれる食べ物。それに、こんな深夜の時間といえば、牛丼でしょ? 「牛丼が、食べたいです」 あたしにしては、遠慮なしにはっきりと言えたと思う。 迷いもなかったのは、究極にお腹が空いているから。 なのに。 「牛丼?」 気に入らない、と言うように返された。 なにか? 言ったものが嫌いだった? それとも虫の居所が悪かった? あたしは隣の顔が前を向いているのをいいことに、まじまじと見つめた。 服装はどこかの有名なブランド物なんだろう。 きっとオトコといっしょでなんでもないシャツでも、すっごく高価な値段の物を着ていそうだ。 裕福そうな顔。 牛丼なんか、食べたことがないって顔だな。 でも、あたしには、お金もないし。 恋人でもない人に奢ってもらう筋合いもない。 「あたし、お金がないんです」 そう正直に答えた。 恥ずかしいことかもしれないけど、あたしは万年、貧乏だ。 今までに貰ったお小遣いは、すべて母のために消えていた。ほとんどがお酒に化けていたし。 いつだって、カツカツだった。 「なんだよ。親父から、金をもらってないのか?」 「いえ、今朝、百万円いただきました」 「あるんじゃないか。ふん、ひと月に百万の小遣い、ね。いい身分だ」 意地悪い声が車内に響いた。 月のお小遣いは五万円。……けど、それは言わない。 でも。 「後期の授業料と、アパートを借りるのにいろいろと物入りなので、食費くらいは削らないと苦しくって」 最後の方はごにょごにょと誤魔化す。 はぁ? 何言ってんの? という顔が前を向いたまま睨みを強めた。 「アパートって何? 住むのは、ぼくのところだろ? そう親父から言われてるんだけど? 授業料だって今時、引き落としだろ? そんなもの親父に払わせとけばいいことだし、生活費くらいはぼくが出すから。それでいいだろう?」 あのマンションには部屋が余っているから? 食事を作って、洗濯や掃除をすればいい? それって、あたしが住んでしまってもいいってこと? オトコの言うことを、このひとは受け入れる、と言っているようだし。 急に、開けてきた。そんな感じがした。 このひとの部屋に住んでもいい。さらに、生活費も出してもらえる。 こんなにいい条件がほかにあるだろうか? 「あのマンションに住まわせていただいてもいいんですか?」 「……なにを、殊勝なことを……。それでよく、親父の愛人が務まるね」 呆れた顔をしている。 <親父の愛人> 嫌味なひと。 でも、こんなことくらいで、口答えなんかできない。 だって、こんなチャンスは、なかなかない。 このまま住むことができたら、アパートを探さなくてもいいし、もしかしたら、会社の内定も取り消されることなく入社できるかもしれない。 あたしは、このチャンスを逃すわけにはいかない、と強く思った。 「どうぞよろしくお願いします。あたしにできることがあれば、なんでも言ってください」 助手席からだけど、あたしは深くお辞儀をした。 「ああ、よろしく」 ハンドルを握る手はそのままに、あたしの方を一瞬だけ見て微笑んだ。 その顔が、一瞬、好きなオトコの笑顔に見えて。 つきん、と胸が痛んだ。 |