7.

 連れて来られたのは、パスタとピザのお店。
 牛丼屋さんは無言で却下されたらしい。
 深夜まで営業しているこのお店は、ちょっと大人向けの雰囲気で、お酒を片手にピザを摘まむ人たちで賑わっていた。
 チーズとにんにくのそそられる香りが堪らない。
 究極にお腹が空いていると、あたしのお腹の虫は遠慮なく騒いでいる。グラスに入った水を一口飲んで紛らわすと、ちょっと落ち着きを取り戻す。
 ここは、高級でもなく、騒がしいまでもいかないお店で、あたしのようなお金のない者が入っても場違いで苦しまなくてもいいな、と。
 うろっとそこまで考えて、前に座るオトコの息子を、はっと見た。
 もしかして、居づらくないように、こういう場所を選んでくれたのかな?
 そんな風に思ったら、急に親しみを感じ始め、あたしは恥ずかしくなった。
 自分のことばかり考えているあたしを、拒否しないでいてくれるオトコの息子。
 感謝すらしなくちゃいけないのに。泣きそうだよ。うれしすぎて。
「……で、さ。きみの名前だけど、なんだっけ?」
「あ、羽鳥 優です」
「はとり、ゆう、ね。……じゃ、『ゆう』って呼ぶから。いいよね?」
「はい」
 なんでもいい。呼び方なんて。
<優ちゃん>
 目を閉じると聞こえる、オトコのあたしを呼ぶ声。
「優、聞いてる?」
 呼ばれて、心臓が躍った。
 この人の声、オトコと似ている。ちょっと低くて甘いところが。
 また、つきんと痛んで、胸を押さえた。
「なんだ、聞いてなかったの? 優はよく自分の殻に閉じこもるね。それって癖?」
「あっ、ごめんなさい。……それ、よく言われます」
「ふーん、覚えとく。で、ぼくのことは、『しょう』と呼んでもらうから」
「え? しょ、う?」
「ああ」
「本橋 しょう、さん?」
「なんだ、ぜんぜん聞いてなかったの?」
「……」
 あちゃー、溜め息吐いてるよ、この人。呆れてるね、あたしのこと。
「まぁ、いい。ぼくの名前は、本橋 翔(もとはし しょう)。大空を翔るの『しょう』だ」
「はい。翔さん、ですね」
「翔、でいい。さん付けされるのは嫌いでね」
「わかりました。翔」
 名前くらい、なんなく呼べる。
 なのに、どうして? びっくりした顔をして。
 こっちを見る翔に、ちょっとだけ苦く笑ってみせる。

 食事はピザを二切れと、ナスのパルマ風グラタンを半分くらいと、パスタを一人前ぺろりと平らげようとしている。
 ここの料理は、どれも美味しい。きっとイタリアのマンマの味なんだろう。やさしくて、深い味を感じる。
 黙々と食べながら、家で作るならどんなスパイスが入っているんだろう? って考える。真似できたらいいのに。そうしたら、翔も喜ぶかな?
 翔も食べる方? あたしはナプキンで口を拭ってから翔を見た。
「気持ちいいね。優は美味しそうに食べる」
「んふふっ、それもよく言われます」
 友達から、細い体のどこに入るのか分からない、とも言われる。
 たぶん、女にしてはよく食べる方だと、自負している。
「朝早くに、コッペパンひとつ食べただけで、お昼も抜いちゃったし……。とにかくおなかがすっごく空いてたんです」
 恥ずかしいことをポロッと滑らせて、あたしは赤くなった。
「なるほどね。 親父も、朝からいつになく慌ててたからな。優がぼくのマンションに行くからって、ぼくに会社を休んで、待機するように言うんだぜ」
 笑えるだろ、と吹き出した。
「ぼく、これでも会社の代表取締役をしてるんだ。急に休むなんてできっこないの、親父の方がよく解ってるくせに、おっかしいの」
 翔は、オトコのことがよほど可笑しいのか、まだ笑っている。
 そうか、オトコはすごく心配してくれたんだ。やっぱり優しい人だ。
 なんだか、じーんとする。
「泣いてんの?」
 あたし?
 頬に触れてみる。
 あっ。
 本当だ。濡れてる。
 たぶん、人の温かさと優しさに触れたから。
「うれし涙です。心配してくれたんだ、と思ったら、つい」
 ナプキンで、涙で濡れた頬を拭いた。
 流れ続ける熱いものを隠すように、ナプキンを押し当てる。
 あたしを見る翔が、真顔でふーん、と言ったようだ。
「朝、出て行かなくちゃいけなくなって、あたし、突然、家なしになっちゃったんだって、すごく不安に思っていたんです。ひとりでは住む家も仕事も見つけられなくて。一度は情けなくて絶望したんです。なのに、こうして翔に拾ってもらえた」
 ここまで一気にしゃべって、我に返った。
 いっしょだ!
 母といっしょなんじゃない? これって……。
 あんなに嫌いだって思っていた寄生するような生活だけど、ただ場所と人が変わったっていうだけで。
 男に依存して、努力もせず、ぬくぬくと私腹を肥やす。まるで寄生する女、そのものじゃ。
 どうしよう?
 本当にこのままでいいのだろうか? あたし、わからない。
 だって、嫌だ。あたしは、お母さんのようにはなりたくない。
 男に寄生するような、そんな人間には絶対にならないんだから!

「おい、優? 大丈夫か?」
 翔に呼ばれた。
 わかっているのに。反応しようと思うのに。できない。
 身体に力が入らない?
 あたし――――。


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