10.

 ベッドに縫い付けられたようにふたりで横たわって、おしゃべりした。
 翔は、どんな暮らしをしている、とか、自分の会社のことを話して。
 あたしは、自分が大学生であること、家を出なくてはならなかった経緯から、住まいを探して不動産屋で断られたことまでを話した。
 今はもう、翔と向かい合っていても怖くはない。
 逆に、ほんの三十センチも離れていない距離は、いつの間にか長く親しんだ関係になった気がしてくる。
 あたしはケットに包まれているし、翔はTシャツとルーズなパンツを穿いている。
 あたしの髪を梳くように触っている以外は、いやらしい感じはまったくない。
 とても落ち着いて、何でも話してしまいそうなくらい、居心地がよかった。

「母はね、家も仕事もなくて、次々と男の人を取り替えてはその男の家に住み着くの。何もかもその男に頼って寄生するだらしない人で。生活感もなくて、嫌なことがあるとすぐにお酒に逃げちゃう人なの。そのせいで身体を壊しちゃうし。だから、母のことも、母の生き方も、あたしは許せなくて、ずっと苦しくて、嫌だと思ってきた」
 こんなこと、人に打ち明けるのは初めてだ。
 だって、自分の母親の悪いところなんて、誰にも言いたくなかったから。

「優と同じ、だな。ぼくも両親のことを嫌ってる。お互いに愛人を囲ってるんだからさ。家に帰っても誰もいない。あるのは冷え冷えとした家族関係だけ。家族って、いったいなんなのさ。そんな親なら必要ないって、何度も思ったな。もっとずっと前のことだけどね。まぁ。今は大人になって、社会人としての両親を見ることができるようになったし、尊敬できる部分も見つけることができた。でも、やっぱり家庭人としては最悪だと思うけどね」
 翔も言いにくそうにしゃべって、最後は突き放すように笑った。
「翔も寂しかったのね」
 同じように葛藤した過去をもつのだ。分かった瞬間、悲しいけれど優しい気持ちになれた。
 あたしは翔の背中に手を回して抱きしめる。
 この気持ちが伝われば、すこしは翔のなぐさめになるだろうか。
 翔はされるままになって、弱く笑った。
「ねぇ。翔は、女の人を心から愛せる? その人だけだって思える?」
「……」
 分からないのか、翔は首を傾げてみせる。
「あたしは、たった一人の人を愛し、その人にもあたしだけを愛してほしい、って思うの。それでね。いつか結婚して、子供を産んで、いっしょに育てたいの。幸せってお互いに思える、そんな温かい家庭がほしい――」
「ふ〜ん。それって、いわゆる『理想の家族像』だよな。ぼくも、優も、知らない」
「う、ん」
 現実は酷いもの。父親が誰なのかも分からないし、理想とはかけ離れた殺伐とした暮らしをしてきた。
 だから、理想がものすごく遠いと知りながらも、ずっと欲しいと願ってきた。
「ぼくも、そういう温かい家庭が、手にできたらいいなって思うよ」
 それは、寂しさをよく知っている顔で。
 そういう顔を見ると、なんにも言えなくなる。
「ぼくと優、ふたりの境遇はちがっていても、同じような苦しみや悲しみ、寂しさを共有しているってわけだ。だから、きっとうまくいく。そう思わない? この際、ただの同居じゃなく、ここで家族のように暮らしてみないか?」
 家族のように。
「いっしょに?」
「ああ」
「い、いいの?」
 喉から手が出るほど、欲しい居場所。
「ああ。優のこと、大事にしたいって思うよ。会ったばかりだけど、今わかっているだけで十分だ。ぼくのことを平気で呼捨てにできるほど強いと思ったら、変に遠慮深かったり。いきなりどっかに心が飛んで、ひとの話を聞いてなかったり。突然泣いたと思ったら、倒れるし。ほかにも、顔を赤くして恥ずかしがったり、目まぐるしいほどくるくると表情が変わる。そういうところが気に入った」
 あたしのこと、そんな風に見ていたんだ。
 昨日出会ったばかりの翔。今わかっていることは、冷たくて、意地悪で。
 でも、寂しさもよく知っていて。穏やかで、優しいところもあって。
 やっぱり、あのオトコの息子だ、って思う。
 この人を信じても、いい?
 だけど、ちょっと待って。
 これから始まる生活は、母と同じにならない? 寄生することにならない?
「あたしがここに住んだら、母と同じ寄生虫になっちゃうんじゃない?」
 それだけは死んでも嫌だから――。
 もやもやっと不安がたちこめる。
「いや、それはちがうな」
 そう言った翔は、自信のある顔であたしを説き伏せるように続ける。
「それって、自分では何もしないで、他人に依存して生活することだろう? それだったら、依存しなければいい。優はこの家に住んでご飯を作ってくれ。ぼくは料理ができないけど、掃除や洗濯ならできる。家族って、持ちつ持たれつだろ? 助け合えばいいんだ。たくさん話し合って、そのバランスが崩れないようにしたらいい。それでも心配?」
「う、ん」
 ここで素直に頷けるほどあたしは柔軟でなく、はっきりとしない返事をしてしまった。
「優が親父の愛人じゃないと分かって、ピンっときたんだけど、優のお母さんって、律さん、だよね」
「うん、そう。母を知ってるの?」
「ああ。何度か顔を会わせたことがあるよ。とても子供がいるようには見えなかった。綺麗だし艶っぽいひとだよね」
「艶っぽいって」
「でもさ、親父、ここ何年かは律さんだけだよ。あの人、おもしろいほどに律さんにメロメロだと思うけど? それにさ、愛してる人がそばにいれば何にもいらないっていうのが本当の愛かもしれないよ」
 そうは思わない? と、笑みを強めた。
 ちょっぴり、意地悪く口端を引き上げたところが翔らしい。
 あたしは、それに強く頷いた。
「うん。あたしもそう思う。和人さんと母は愛し合っているって。あたしはただ、心配だったの。母のわがままな態度に、愛想を尽かされないかって。和人さんはあたしにも良くしてくれるから、離れていってほしくなかった。あたしが母に家庭らしい温かさを求めたのも、そういう理由からかもしれない」
「大丈夫。ぼくは浮気をしたり、愛人を持ったりはしないよ。両親を見てきたからね。あの人たちはぼくの反面教師なんだ。優のことは一生大切にする」
 ええっ? 一生? そこまで飛躍する?
 でも、そこまで言われて、信じてもいい? とかじゃないよね。
 それより、翔を信じたいんだ、あたしは――。
『ここで家族のように……』
 翔となら、温かい関係が作れるかもって。
 両手を翔の頬に伸ばして、まじまじと見つめる。
「ありがとう。それから、どうぞよろしく。お兄、さん」
「え。お兄さん?」
 初めに会った時の意地悪そうな印象から、一転。戸惑った顔で止まっている翔。
 その唇にあたしから重ねていった。
 そっと目を開けると、ぎょっと見開いた翔がいて、
「ふ、ふ〜ん。優は、お兄さん、とキスをするんだ」
 いいね、面白い、と、意地悪気な笑みを浮かべ、
「いけない子には、お仕置きが必要だな」
 冷たくてどこか甘い声があたしの耳に届き、ぞくりと背筋が泡立つ。
 翔は勢いよく起き上がると、あたしに押し迫った。
 お、お仕置きって?
 逃げる間もなく、あたしを包むケットが引き剥がされる。
「きゃー! ごめんなさいっ! もうしませんっ! しませんからぁ〜」
 やめて〜。 許して〜。
 翔は、腕の中で暴れるあたしをキツク抱きしめる。
 そして。
 許さないよ、と。甘〜いお仕置き? あたしの身体のあちこちに赤い痕を残す。
 そのキツイ刺激にダウンしたあたしを満足そうに見下ろすと、真剣な顔で、
「いい? 覚えといて。絶対に親父よりも好きって言わせてみせるから」
 にっこりときれいに微笑んだ翔の瞳がきらっと光った。
 この時。
 いつの日か、愛し愛される温かな家庭が築けるかもしれない。
 そんな予感があたしの中に膨らんだ。

(完)
最後までおつきあい下さりありがとうございました。その後のお話season2もよかったらどうぞ!


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