キレイな顔をしている。
見た瞬間に、俺はそう思った。
こんな緊急時に、ずいぶん不埒なことを思い浮かべたものだ。
目の前に立つ少女に見惚れてしまったのだから。
何色にも染まっていない少女を前に、ただただ心を奪われた。
くっきりと綺麗な二重の瞳は大きく見開かれ、瞬きも忘れられていた。
腰よりも下にある長い髪が印象的で、少女は時を止めたように立っていた。
どう言えばいいのか。この部屋と共に、ゆっくりと静かに時を刻んでいるような少女は、同じ人間のはずなのに、なにか別の生き物のようにも感じられ、事故のことをどう切り出していいのか詰まってしまった。
俺はどうすればいい?
何から話せばいい?
十五年もの間、部屋だけで過ごし、外に出ることもなかった少女に、俺の話が理解できるのだろうか。
戸惑いと不安が折り重なる中、話しかけた。
できるだけ分かりやすく説明しようと努力したつもりだけど、どう伝わったのかは、わからない。
その間も俺の顔を注視したままで、言葉が返ってこない。
相槌さえも打たれない。
まるで手応えがないのだ。
しかし、理解はできるようだ、と思った。
どんどん顔色を変えていったから。
蒼白な顔色は、その事実を受け止めている証拠なのだろう。
顔色の悪さは今にも倒れそうで、俺は傾きかけた身体に手を差し伸べた。
「大丈夫?」
だけど、俺の言葉は届くことなく、驚きと恐怖で顔を歪ませた少女は一言も言葉を発することなく、ゆっくりと倒れていった。
ああ。倒れる!
そう思った時、伸ばしていた腕の中に少女を抱き留めた。
俺の胸にすっぽりと入ってしまった少女の柔らかさに、胸がとくりと鳴った。
あまりにしなやかでほっそりした肢体に、目を見張った。
意識のない少女の顔をまじまじと見つめた。
見るとまばらな睫は、驚くほど長く、目を瞑った表情も美しい。
それに、いい匂いがする。柔らかで微かに清潔なシャンプーの香りが俺の鼻をくすぐる。
刺々しさのない穏やかな雰囲気に俺は惹き込まれていった。
先入観を持った見方をしたからだろうか? 世間の汚れに晒されたことがない、透明な美しさを感じた。
ああ、と。いけない。
俺はまた、見惚れてしまっていた。惹き込まれるほどの美しさに。
そんな場合じゃない、と自分に言い聞かせ、待たせているタクシーに急ごうと思った。
そうだ!
大事なことに気づいた。
靴がいるだろう。
そのまま足元を見る。が、あるはずの物が玄関になかった。
少女の靴がなかった。
悪いと思ったが、ないと困るだろうと思い、勝手に靴箱らしい扉を開けてみた。
男物の靴が数足あるだけで、少女のものと思われるものはなかった。
十五年間、外に出ていないというのは、本当のこと。
胸の中の少女を見て、俺は納得させられていた。
マンションの部屋を出て、そのまま待っていた無人のエレベーターに乗る。
深夜の時間でよかったと思った。
誰にも会いたくなかったから。
意識のない少女を抱きかかえた、ここの住人でもない俺は、誰の目にも不審な人物に映るだろう。
なぜか悪いことをしている気分になってくる。
俺はいったい何をしているんだろうな、まったく。
薄笑いが漏れそうになるのを堪え、できるだけ目立たないよう、足音を忍ばせる。辺りに注意して足を運んだ。
一階のエントランスから出ると、待たせていたタクシーがハザードライトを点滅させているのが見えた。 さっき、ここに来るときに乗せてもらったタクシーがそのまま停まってくれている。
タクシーに近寄ると、運転手が驚いた顔で車から出てきた。
人を横抱きしているのが見えたからだろう。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「ああ、気を失っているだけだ。この子の家族が事故にあって病院に運ばれてね。それで迎えに来たんだけど、ショックだったんだろ。青い顔して倒れたんだ。悪いけど、また大学病院に戻ってもらえる?」
運転手は、かしこまりました。と、返事をすると後部座席のドアを開けて、俺と少女が乗り込みやすいように手伝ってくれた。
そして、運転席に戻るとシートベルトをしながら、振り返って心配そうに少女を見た。
「私も、同じくらいの娘がいまして……。可哀想に。ああ。すみません。急いで病院に戻ります」
運転手は、タクシーを発進させた。
渋滞が解消された時間だったため、思ったよりもスムーズに進んでいく。
車窓から見えるテールランプが鮮やかに流れていくのを見つめ、俺はほんの二十分くらい前のことを思い出していた。
(2008/04/08)