5. 理久の駄目ぶりはどうしようもなく顕著だ
眠れない夜が明け、愛はいつも通りの時間に動き出した。
さすがの愛も体の疲れが溜まっていると感じるが、寝られない性分だ。
見ると理久も空もぐっすりと眠っているようで愛がベッドから抜け出しても動く気配がなかった。
今朝は愛ひとりではない。当然ながら使用中のベッドのリネン類を洗うことはできない。
こっそりねめつけると愛は首を回し肩をほぐしながら、洗面所に向かった。
洗濯物は3人分だ。1人分より当然多い。
洗濯機のドラムが回るのを眺めていると、ふと笑いがこみ上げた。
昨夜、空が愛とお風呂に入りたい、というので、理久には先に入ってもらった。その後でお風呂に入ろうと洗面所のドアを開けた途端、空が大きなため息を吐き、床に脱ぎ捨てられた服一式を拾い集めてランドリーバスケットに入れるのを見てしまった。
それだけではない。空はまるで理久の母親のように、あれこれと世話を焼いていて、理久の駄目ぶりはどうしようもなく顕著だ。
あの様子から、空が愛の思う子ども像とかけ離れてしまった原因だろうことが透けて見えた。
空の早熟さは、理久を反面教師に培われたものであるに違いない。
愛は思い出し笑いを引っ込めると、身支度を整えキッチンに向かった。
朝食はどうしようか。
冷凍庫にあるベーグルは2人分しかない。
あと1人は、昨夜炊いたご飯の残りを高菜のおむすびにしておいたからそれでいい。
それから、冷蔵庫にある野菜を余すことなく使い切りコンソメ味の具沢山スープを作った。
からっぽになった冷蔵庫を見て思う。今週分の野菜を調達しなければ胃袋を満たせまい。それに3人分の食事を作ろうと思うと、ほかの食材も必要だ。
今日は昨日行けなかった愛の祖母が遺した畑に行こうと決めて、欲しい物をスマホでメモしていった。
「愛ちゃん。おはよっ!」
元気のいい空の挨拶に、愛はスマホから顔を上げた。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん。おなか空いた〜」
「いい匂いがしたから起きたの」と、空は言ってキッチンに入ってきた。
「朝ごはん、できてるよ」
ダイニングテーブルに洋食2人前と和食1人前を並べたところへ、理久も起きてきた。
「おはようございます」
愛の挨拶に理久はまだ寝ていたいのにという顔で「おはよう」と、ぼそぼそと返した。
朝は苦手なようだ。おそらく空に起こされて渋々ベッドを出たのだろう。理久は冴えない顔で突っ立っている。
「食材の都合で、洋食と和食になりましたけど、どちらがいいですか?」
「ん。和食がいい」
海外から帰ってきたのだ。和食が恋しいのだろう。
愛は頷いて、和食がある方の椅子を引いて理久に座るよう促した。
3人で朝ごはんを食べる。しかもお行儀よく座って。
いつもとはちがう朝の風景に愛は落ち着かない気持ちでいた。
「理久くん。ごはん粒、口のとこに付いてる」
愛が空と隣合って洋食を食べていると、空の注意が飛んだ。
昨夜も同じことを言われていたな、と思い出す。
理久は慣れた様子で頷くと、指で口元を拭ってからごはんを黙々と口に運んだ。
寝起きは悪いが、普通に食欲はあるのね。愛は気づかれぬよう笑った。
「あの。課長。ちょっといいですか?」
愛は断ると、今日の予定を簡潔に伝えた。
今日は野菜の収穫がしたいのと、食材がほしいので買い物に出たいこと。
だから、不動産屋巡りは行けない、と断ったつもりだった。
「愛ちゃん。ぼく、愛ちゃんのおばあちゃんの畑に行ってみたいな」
空の言葉に愛は快く「いいよ」と頷いた。
「今日は空くんといっしょに畑に行ってきます。たくさんお手伝いしてね」
最初の言葉は理久に向け、後半部分は空に語り掛けた。
嬉しそうにはしゃぐ空を見て、愛も笑顔になる。
「早生のみかんがそろそろ頃合いだから、みかん狩りができそうよ」
「みかん?」
「そう。おばあちゃんの畑には、みかんの木があるの」
「みかん。大好きっ!ヤッター!」と無邪気に喜ぶ空に愛は目を丸くした。
みかんの収穫くらいでこんな調子だと、いろいろ楽しめそうだな、と思う。
「安納芋も作ってるから、そのうち収穫できるよ。冬には落ち葉でたき火をして、お芋をじっくりと焼くのも楽しいのよ」
畑のそばには古いけれどしっかりと手入れされた平屋建ての家もある。愛は週末になると、車で40分ほどかけて行き、別荘代わりに使っている。
愛と空の楽しい会話に、むっつりした声が割り込んだ。
「ぼくも行く」
理久の発言に、嘘でしょ、と愛が眉をひそめる。
「部屋探しは?」
なによりも優先させるべきなのに。
「部屋は、……来週でいい」
信じられない発言に愛は口を開けたまま理久を見つめた。
不動産屋を回ったものの眼鏡にかなう物件は見つけられない。その可能性もあるだろう。それなら仕方ない。
でも、行動を起こさず部屋に居座られるのは、愛としても納得がいかない。
「課長! 駄目です。部屋を探してください。住まいが見つからないと空くんがかわいそうです。明日から仕事ですよ。保育園は決まっていますか?」
「ああ。保育園なら、スクエアビル2階のたんぽぽ保育園に入園が決まってる」
オフィス街の中にある保育園で、働くママが利用しやすいと聞いたことがある。ここから徒歩2分くらいだろうか。
「そうなんですか」
愛は意気消沈だ。
「ああ。会社からも近いし、前に帰国した時に申し込んでおいた。今日は愛を手伝うことにする」
『愛』と、どさくさに紛れて呼ばれたことにも気づけないほど、愛は肩を落として萎んだ。
(2017/4/8)
イラストもずねこ様