11. 3人は仲の良い幼馴染
金曜日の定時すぎ。
会社の更衣室は暑いぐらいの熱気がこもっていた。
個人に割り当てられたロッカーで戦闘モードに切り替えていく女子たちがひしめき合っている。いろいろな意味で密度が濃いという、愛にとっては苦手な場所である。
社内の噂が飛び交う場であり、化粧品と香水が混じりあい決していい空気とは言えない。ある意味、意中の男性には見せられない裏側だろう。
そんな窮屈な中、愛は居心地悪く体をすぼめながら、あぶらとり紙でおでこを押さえていた。
横に並ぶ同期の中沢 美鈴は顔の角度を変えながら化粧直しに余念がなかった。
「愛ちゃんも来ればいいのに。今日の合コン、安定の国家公務員だよ」
「……合コンかぁ」
愛は言葉を濁す。
もう最後に合コンしたのはいつだったか忘れたぐらい。
「4人中2人が幹部候補だって。いいと思わない?」
「へえ。キャリアって呼ばれる人だよね?」
「そうそう」
「ふうん。そういう人たちでも合コンするんだ」
『そういう人たち』とは、失敗など許されない緊迫感漂う中で時間と戦いながら仕事をする。本当のところは知らないが、勝手なイメージもっていた。
生真面目で堅い時代遅れな男性を思い浮かべて、合コンではどんな会話が飛び交うのか想像すらつかないな、と愛は首を振った。
「そりゃあキャリアだって合コンくらいするでしょ。みんな出会いを求めてるんだよ」
美鈴はグロスを唇に馴染ませると、愛に向き直ってパチパチと目を瞬かせ笑ってみせる。そして、普段見たことがないワンピースという清楚な身なりを「どうよ!」とポーズをとった。
準備万端だ。
愛と同じくらいの身長の美鈴は小柄なことを気にしているが、小動物のような可愛らしい見た目は男性の目を惹きつけるのに十分な容姿をしていると愛は思っている。
「美鈴ちゃん。可愛いよ! キレイだよ! ばっちりだよ!」
「うふふっ。今夜こそはいい男をゲットしてきます!」
握りこぶしを作った美鈴からは本気度満点の意気込みが感じられた。
そんな婚活真っ只中の美鈴に愛は少しばかりの羨ましさを感じながら、「がんばってきてね。どんなだったか、教えてね!」と返し、いそいそと帰って行く美鈴を見送った。
愛は会社一階のカフェテリアでコーヒーのテイクアウトをすると、本日のブレンドコーヒーを片手にエントランスを横切った。
ちょうど、上階から下りてきたエレベーターから仕事帰りの社員たちが固まりになって出てくるのが見え、その中に、よく知ったいとこで社長秘書の優花がいた。
こんな風に鉢合わせることは滅多にない。
「「お疲れ様」」
お互いに小さく声を掛け合う。
優花も愛といっしょで地下駐車場に車を止めている。
本来は役職以上しか駐車してはいけない決まりなので、こそこそと目配せして奥の非常階段にふたりは移動した。
愛と優花は前後して階段の踊り場で足を止める。
エントランスホールと非常階段を繋ぐ扉が閉まると、プライベートのおしゃべりをするにはちょうどいい空間になっているからだ。
振り返った優花に愛はびくりと肩を動かした。
優花は同性の目からも憧れる、誰もが『美人』と声を揃えるだろう容姿。女性にしては長身でショーモデルもできそうな隙のない社長秘書としてのスーツスタイル。腰まである髪をひとつ結びにまとめているところは清潔感があって優花らしいと愛は密かに憧れていた。
ストレートでつやつやの黒髪が羨ましくて小さい頃はよく触らせてもらったものだ。
「今から畑の家に行くの?」
優花は愛の目を見て笑った。仕事の時のキリリとクールな顔とは違う親しい人にのみ向ける笑顔だ。
「……うん」
いつから優花の目を真っすぐに見ることができなくなったのだろう。
愛は気まずく思いながら、そうとは見せないように頷いて笑って見せた。
「あと半年で自動車専用道路が開通するよね。もう通勤できる距離じゃない? 十分通えるよね」
優花の視線から逃れられずに愛は頷いた。
「そうなったら会社に住む理由はないんじゃない?」
秘密にしないといけない住まい事情は褒められたことではない。
ずっとこのままではいられないことも分かっていた。
「ん。そうだよね」
今まで1時間ほどかかっていた畑の家には2県1府をまたぐ自動車専用道路が開通する。そうなれば半分ほどの時間で行けるようになる。
辺ぴな場所にある家には違いないが、たまに使う別荘というカテゴリではなくなる。
畑の家に住むことは十分可能だ。
「……ねえ。正広は元気にしてる?」
『正広』という名前に愛はドキリとする。
「ん。元気だと思うよ。……彼女もいないみたいだし」
「ふ〜ん。相変わらず女っけなしなんだ。まあ、鶏ばっか相手にしててはどうしようもないか」
くすくすと笑う優花に愛も同調した。
「正広に、……会いたいな」
そう呟く優花がひどく寂しそうで、愛は切ない気持ちがせりあがる。
同時に、胸の痛みを感じて目頭が熱くなる。
「……ん。きっと、正広も同じこと思ってるよ」
「ふふっ。愛は、いつもいつも可愛いこと言うなぁ」
優花にむぎゅっと抱きしめられて、愛は優花の胸の中で「うっ」と呻いた。
ボリュームのある胸を押し付けられて息ができない。
優花ご自慢の巨乳は健在だ。
息を吸い込もうと顔を上げた愛に、優花は口元を引き上げた。
意地悪い顔をした小悪魔優花に愛は眉を下げる。
「ふふふっ。窒息しちゃった?」
「も、もう。笑うなんてひどいっ! 揶揄って! わたし、恥ずかしくて死んじゃう」
「よしよし」と宥められ、愛はため息を吐く。
小学6年生の頃で成長を止めてしまった幼いままの身体は愛のコンプレックスでしかない。
いっしょに育った優花とは遠慮がない間柄だから、会うたび弄られる。
「優花の胸、ちょっぴりでいいから分けてほしいよ!」
切実な願い。牛乳を飲んでもダメだったから。
「……そんないいもんじゃないって。歳をとったら確実に垂れるし。私の方こそ愛のあるようなないような? 膨らみのが羨ましい……」
「思ってもないくせに! もう! 帰るっ! こんな会社の、誰が聞いてるかもわかんないところで話す内容じゃないし!」
愛は怒って優花に背を向けると、駐車場への階段を駆け下りた。
愛と正広と優花は同じ大学、同じ学部生だった。
3人は仲の良い幼馴染として過ごしてきた。
小さい頃のように頻繁に3人で会うことはなくなったが、今でもときどきは畑の家で仲間たちとBBQを楽しんでいる。
駐車場の扉を開けて、優花を先に通そうと愛が振り向いた。
「優花。近いうちにBBQしよ。焼き芋もできるし、正広に釣ってきてもらうからニジマスも焼いてさ」
優花にはいつも笑っていてほしい。
幸せになってほしいと思っている。
「うん。いいね。BBQ! 久々に思いっきり肉が食べたい!! ……愛。ちゃんと食べてる? もう。愛は相変わらず痩せっぽっちで細っそいんだから。もうちょっと身体に肉を付けなさい!」
「むう。優花よりはぜったいに食べてるから! ……BBQのことはまた連絡するね!」
隣同士の駐車スペースまで歩くと、手を振り合って愛と優花は別れた。
(2018/6/14)
イラストもずねこ様