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第二章 「空っぽのお腹」 1.  by 奈都

 フローリングに直に座ったわたしは、右から左へぐるり、と見渡した。
 これは、まるで泥棒が入ったみたいな――。
 空っぽのお釜。三連プリンカップが六個。海苔の佃煮の瓶一個。菓子パンのビニール袋たち。
 自由ちゃ、自由に。あっちこっちに散乱している。
 肩を落として、ため息をひとつ。
 この散らかり様。靴の泥汚れがオマケされていたら、きっと泥棒が入った後に間違われる。
 それは困るんだけど、さ。
 ふと自分を見る。
 右手にはシュークリーム。左手には二リットルの水入りペットボトル。
 ちっとも笑えない。
 これは誰も知らない、わたしの姿。
 気持ちの赴くまま貪り食う。
 誰にも見つかっちゃならない。秘密の行動。
 ここには誰も来ない。
 自由に食べたいだけ食べ、眠りたい時に寝る。
 わたしの秘密の場所。
 ここにいる理由は、ちゃんとあるからいいんだけど、ね。
 まぁ、かんたんに言うと、バイト?
 わたしは食べ物欲しさに母からバイトを請け負っていて。父の兄の家の管理と掃除がおもな仕事だ。
 掃除は好きだから、天職っ言うの? こういうの。
 母よりも上手だと自負してるってくらい。
 わたしは掃除好き。
 母はまったくってほど掃除ができない。いわゆるテレビのニュースで話題にも上る『掃除のできない女』で。
 その点、わたしはきっちりと塵一つ落ちてないように掃除機をかけ、フローリングを乾拭きし、磨き上げている。
 汚れている様を見るのは、反吐が出るほど嫌いなんだから。
 母が言った。整然と美しいのを見ると落ちつかない、っていう言葉に傷ついたこともあった。
 なによ! どこが落ちつかないのさ。
 馬鹿じゃないの?
 キレイで何が悪いのさ。
 そんな気持ち、わたしには、ちっともわかんない。
 ふん! みんな食べてやる〜!
 わたしは、ありったけの大口を開けてシュークリームにかぶりつき、そして水をごくごく喉を鳴らして飲んでやった。
 あんな家、帰りたくない。
 何日も前の新聞を積めるだけ積み重ね、崩れようがおかまいなし。
 読んで興味を失った雑誌はその辺に放ったらかし。気がつけば何年も前の時代遅れのファッション誌なんかが発掘されるんだ。
 背中がぞっとする。
 新聞や雑誌だけじゃない。全部が全部、そんな調子。なに食わぬ顔でふつうに暮らしている。
 極めつけは布団を干さない。いつのシーツかわからないくらい替えたことがない。
 どうしてそんなことをしていて平気でいられるのか、って? わけを訊いたら、自分の匂いがなくなると落ちつかない、だって。
 おまえはなんかの動物か、って叫びそうになった。
 だから。
 バイトに託けて家出同然で、この家に住んでいる。
 どうせ、自宅とこの家はお隣同士。と、いうか同じ敷地に二軒が建っている。
 本家と分家がちょっと離れて建っていて、その本家の方にわたしの家族が住んでいて、ここの分家の『離れ』には昔、父の兄であるおじさん家族が住んでいた。
 おじさんも漁師で、漁に出たまま帰って来なかったんだって。
 何年か経って未亡人のおばさんは子どもを連れて再婚し、引っ越していった。
 再婚すると同時に空き家になったこの家は、貸家にもされず、おばさんの意向でいつでも住めるようにしておきたい、と母に管理を任せたらしい。
 けれど、とてもとても母には荷が重かったようだ。
 埃だらけにして、おばさんが帰ってくる知らせを聞いては、慌てて掃除をするものだから。見かねて、わたしが手を出した。
 誰に似たのか、わたしは潔癖症に近い、家族一のキレイ好きなんだから。
 わたしはバイトの名目で、ぴかぴかに光るこの離れに入り浸っている。
 家の佇まいも気に入っている。
 素っ気無いとか、冷たいとか家族は言うけれど、この家はこの辺には珍しく鉄筋コンクリートの中二階の住宅で、個室が作られていた。
 その点、本家のだだっ広い純日本風の建物は八畳の和室が田の字型に作られて、襖で区切られている。襖一枚ではプライバシーが保てないから、ぜんぜん好みじゃない。
 父なんかは、襖を全部開け放てば三十二畳の広い部屋になるからいい、って言ったけど。
 そんな使い方なんか、ここ最近は見たことがない。 前は宴会もしょっちゅうやっていたらしいけど。今は遠い昔。
 海に近いこの地域は、古くから漁をして暮らしてきた。イワシやコウナゴを獲り、海苔の養殖をしてきた。
 けれど、魚離れの昨今、マグロは好まれても小魚は見向きもされない。骨の多い魚ってだけで敬遠されるんだ。
 そのために魚の卸値が上がらず、漁師だけでは食べていけなくなった。
 漁師の多くは仕事を棄て、サラリーマンや役所勤めの公務員になってしまった。
 どんちゃん騒ぎの宴会も、兄妹や親戚といった付き合いも疎遠になり、法事すらされていない。
 昔はだだっ広い部屋も活躍していたかもしれないけど、六十年経った今は、そんな広い部屋なんか必要ないんだ。
 ご先祖様には悪いけど、ただの物置部屋に成り下がっている。
 物に占領された部屋なんか見たくもない。わたしが片付けようとも、母の『もったいない』の一言で捨てることも叶わない。
 そんな家なんて居られない。
 空気がそこだけ澱み、酸素さえ薄いんじゃないかってほど苦しくなってくる。
 だから、わたしはこの離れの方に避難してくるんだ。
 母もよく知ったもので、べつにとやかく煩く言わない。
 わたしのことに関心が薄いから。
 ううん。わたしのことを信じきっている、と言ったほうがいいのか。
 母がするはずの家事をわたしが代わって、母よりも完璧にやり遂げる。
 女としては、わたしのことがおもしろくないかもしれない。
 けれど、母はそんなお高いプライドを見せることはなかった。
 どこまでもお気楽なかあちゃん、という風情でいる。
 気楽に自由にしていられるのがいいらしい。
 離れのここは、電気も水道も本家と繋がっているから、使いたい放題。お風呂にしても、電話一本で灯油を配達してもらえる。
 まあ、ガスだけが引かれていないせいでガス調理器具が使えないけど。
 生活にはほとんど不便を感じない。
 気ままなひとり暮らしのようなもの。
 けれど、これがずっとではない。
 月に一度の割合で、家主のおばさんがやってくる。
 それも事前に連絡が入り、お天気の良い日にお布団を干して用意しておく。
 どうってことはない。
 おばさんは都会に住み、ときどき疲れた、と言って地元に帰ってくる。
 ここからそんなに距離のない海まで散歩して、ぼんやりと海を眺め、お昼にはふらりと戻ってくる。
 お昼を食べると、また海へ足を向ける。
 何日かして気が晴れると「元気を取り戻したわ」 と、ふんわり花のように笑うんだ。
 とても漁師の奥さんだった人には見えない。
 そういえば、おばさん、元気にしてるかな?

(2013/04/09)



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