わたしには忘れられない人がいる。
今では、憎いのか愛しいのかも、わからないけれど。
わたしが生まれ育ったのは、漁港のある小さな町だった。
鄙びた、という表現が正しいのか、年々漁師の数は減ってゆく一方で、朝の早いキツイ仕事は嫌煙されていた。
わたしには父はなく、母とふたりで暮らしてきた。
母はスナックをしていて、来るのは地元の漁師という常連客だけの小さなお店だった。
繁盛とは無縁で、とても貧しかった記憶しかない。
年頃になると母を手伝ってお店に出たりした。
ある日、わたしにお見合い話が持ち上がり、とんとん拍子で結婚が決まった。
食べていけたらなんでもいい、とあまり多くを望まなかった。
夫となった人は小さい頃から知っている幼馴染で、勝海という名前の寡黙な人だった。
結婚式は神社で、披露宴の代わりに、夫の家で飲んで騒いでの楽しい顔見せの場が設けられた。
幸せだった。
それがずっと続くと、あの頃は本気で疑わなかった。
わたしが嫁いだ後。
母は体調を崩しがちになり、スナックを手伝う日が増えていった。
常連客のうちのひとりに、夫の弟の晴海がいた。
お店の終わり頃に来て、ビールを一本飲んで帰って行く。
それだけなのに、夫は弟の晴海に思うことがあったのか、次第に荒れていった。
「晴海はおまえをイヤらしい目で見てる」
「おまえは晴海が好きなんだろう」
「おまえは俺のものだ」
お酒を飲み、暴力を振るい、犯される。
毎日、繰り返された。
それでも、わたしは夫を心底憎み切れないでいた。
素面の夫はとても優しく、わたしを愛してくれたから。
それに夫は子煩悩で、悪く言う人はいなかった。
だから、夫よりお酒が憎い、と思うようになったのは、ごく自然なことだった。
酒屋が届ける日本酒を薄めるようになったのは、少しでも夫の酔いが回らないようにするため。
台所にあった空のペットボトルにお酒を移して、一升瓶のお酒を薄めた。
漁に持っていく飲み水を入れるペットボトルだとは知らずに。
それに気付いたのは、夫が行方不明になった日だった。
飲み水と間違えて飲んだのはお酒で、酔っぱらった夫は時化始めた海に誤って落っこちたのではないか。
恐ろしい想像をしては、ふさぎ込む日々。
大変なことをしてしまった、と。
胸のうちを誰にも打ち明けられず、後悔しては海を眺めた。
一年、二年、三年、と。
年を重ねていっても、わたしは港に行き夫を待った。
もしかして夫は帰ってくるかもしれない、と。
わたしには忘れられない人がいる。
忘れてはならない人がいる。
その人が帰ってくるまで、待っていなければならない。
そのために、罪深いわたしは生きている。
(2016/12/19)