8.

 額に触れられる感触に、目を覚ました。
「大丈夫?」
 あたしは、首を傾げてみる。
「店でいきなり倒れたんだ。どこも痛いところはない?」
 オトコの息子……翔? ひどく心配そうな顔をして。
 ん……と、そうだ。パスタとピザを食べて、……。
 それから。
 あたしも寄生虫なんだ。結局は母といっしょなんだって思ったら、絶望的な気持ちになって、……なんだか力が抜けちゃって……それで倒れた?
 まだぼーっとしているけど、大丈夫そう。身体も動かせそうだし。
 身動ぎすると、柔らかなものに包まれていた。
 温かくって、気持ちよくって、すごく眠い。
「優は疲れてるんだ。医者は過労とストレスだってさ。このままゆっくりと眠るんだ」
 まぶたを閉じるように、撫ぜられて目を閉じる。背中に感じる感覚がなんとも言えない。身体に反発感がなくて、温かくて、何度も繰り返される心地いい揺れにどんどん引き込まれる。
 眠い。気持ちいい。まるで、魔法をかけられたみたい。
「朝まで、おやすみ」
 優しくて低い声が、心地よく頭に入ってきた。
 オトコの優しい声が、沁みてくるんだ――。
「かず、ひと、さん」
 好き。
 あたしの頭を撫ぜる手の平が、止まった。
 眠りの淵に入り込み、まぶたが重くて持ち上がらない。覚束ない。
 あたしは額の手の重みを、甘えて引っ張った。
「ねぇ、そばにいて、……ください」
 お願い――。
 あたしは、温かで力強い身体に引き寄せられ、包まれた。
 額に、唇に、掠るほどに柔らかなものがあたしの身体を這う。
「気持ちいい」
 ふわふわと、ゆるゆると、たゆたっても、求めているのは、あなただけ。
 あんなに動かなかった身体が、どんどんと溶かされ、ほぐされてゆく。
 胸が熱くて、苦しくて、もっと近くに感じたくて、さらに求めてしまいたくなる。
 ねぇ、あたしは、離れたくないの。
 ずっと、このままでいたいの。どうか、棄てないで――。
「お、願い……あたしのこと……」
 棄てないで。ぎゅっと包んで、強く抱きしめて――。
 びくり、とあたしを包むものが震えた。……そんな気がして、不安になる。
 いけないの? やっぱり、あたしはひとりぼっち?
 曖昧なのは嫌。もっと、ずっと温かで確かなものが欲しい――。
「もっと、もっと――」
 あたしを強く包んで欲しい。
 あたしは夢の中、掠れるほどに叫び続けた。



 身体がなにかに引っ張られるようで、動かない。そう感じて、目を覚ました。
 まぶたを開けると、そこは光りがサラサラと注がれていた。
 眩しすぎて、まぶたを瞬かせる。
 真っ白な天井が見え、壁までも白で。ここは白に包まれた部屋だなと思った。身体に触れる感触がベッドの上であることを知った。見るとシーツも白かった。まるで、病院のよう。でも、香りはそれらしくない。爽やかで甘い柑橘系をイメージする香りがふんわりとしていて、とても気持ちが落ち着く。
 そして、窓からは直接入る光りで溢れていて、日の光りの匂いも同時に吸い込んだ気がした。
 よく眠った。
 睡眠不足だった頭がすっきりと軽くなっている。
 はて?
 いつの間に眠ってしまったのか? そのことを不思議に思い、頭を左右に動かした。
 ここはどこ?
 あ。
 昨日の――。……翔?
 心臓が止まるか、と思った。
 あたしの方を向いて横向きなっている翔がいて。胸から上が裸だったから。
 なにも付けていない素肌の翔が眠っている? あたしを抱きしめるようにして、丸くなっていた。
 それがわかったら、動かなかった身体のわけがするすると解けて、急に腰の辺りと抱え込まれた足に重みを感じた。
 浅い肌色で、傷のない滑らかな肌は、うっすらと筋肉が浮いて、健康そうな腕をしている。
 規則正しい鼓動も、ゆったりとして緊張感は感じられない。
 眠っていることがわかったあたしは、大胆にも翔のことをじっくりと観察してしまった。
 長い睫毛だな、とか。顔の曲線や眉毛の形、唇の感じまで、恐ろしくあのオトコに似ている、と思った。
 息を殺して、まじまじと見つめても似ていないところを探すのがむずかしい。
 ねぇ、どうして、あたしの隣で眠っているの?
 その疑問と共に、どうして、あたし、こんな眩しい朝日の入る部屋で、裸なんだろう。
 パジャマを着て眠っているはずの自分が、どうして?
 こんな風に素肌を晒すのは初めてで。
 あたし、いったいどうしちゃったんだろう?
 すっごく、すごく恥ずかしい。
 誰とも眠ったことなんてないのに。
 男の人となんて――。 
 抱きしめられて動けないけれど、よく部屋を観察すると、大きな窓にはカーテンがなかった。
 だから、眩しかったんだ。
 引き忘れたというか、ここも目隠しのない部屋なんだな、と。
 そう思うと、翔の目だけでなく、万が一外から覗かれることがあるかもしれないと、心配になる。
 思いついたら堪らなくなって、腰まで肌蹴たケットを無理やり胸元まで引き寄せた。
 眠っている翔も、見慣れない身体もいつまでも見ていられなくてケットで包むように隠した。
 肌を隠せたことでようやくリラックスできる。
 そして、目をつぶって昨夜のことを思い出す。
 でも。
 頭の中に描き出そうとも、シルエットすら浮かばない。色さえも浮かばない。
 白いキャンパスを埋めることはできなかった。
 どうして翔といっしょに寝ているのだろうか?
 昨日、出会ったばかりのひとなのに。
 どう考えても、ふたりが抱き合ったとしか思えない状況に当惑するしかなかった。
 そういうこと、しちゃったんだろうか。
 覚えてないのに?
 『初めて』は、痛くて、苦しくて、泣いちゃう、とか言うよね?
 それを想像しようとして、またもや、恥ずかしくなった。
 たぶん、あたし、全身真っ赤だね。熱いもん。
 ああ、もうやだっ!
 目を瞑って十数えたら、都合の悪いこと全部、忘れてしまえばいいのに。
 そう本気で思って、知らないうちに深い溜め息を吐いてしまった。


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