top

 4. 「女子高生は、ちょっと苦手」

 枕もとに置いてあった携帯の音に起こされて、のろのろと手を伸ばした。
 眠い。まだ目を開けたくない。もっと寝ていたい。
『青木さん。起きてます? もうお昼ですけど、食べに来れます?』
 起き立ての耳にやわらかに聞こえた声の主は、みどりちゃん。

 ぼくの可愛い人。

 今日は待ってましたの貴重な休日。
 そのわりに昼近くまで爆睡してしまったけれど。
 このくらい寝ると、平日の疲れがようやくとれる。寝すぎ、と言われようとも、まとまった睡眠をとることで精神のバランスをとっているようなものだ。
 社会人になってから疲労がとれ難くなった。一晩寝たくらいではなかなかとれない。ほんとうはもっと寝ていたいのだけど。
『青木さん?』
 いい声。耳の奥で蕩けるみどりちゃんの声。ほんとうにぼくの癒しだ。
 もっと何かしゃべってみてよ。ねぇ。みどりちゃん。
『青木さんってば、起きてください!』
 ほんのちょっと尖った声もそそられる。
「うん。起きたよ。ねえ。今日は何を作ってくれたの?」
『えっと、冷し中華を作ってみました』
「冷し中華……」
 う〜ん。また、ものすごく変な味がするのだろうか、と思い浮かべて食欲のバロメーターがぐい〜んと最低基準を指し示した。
 だけど、それを差し引いてもみどりちゃんの声を聞いただけで、すぐにでも顔を見たくなる。
『レモン醤油と、ごまダレ。どちらがいいですか?』
 醤油とごま。
 どちらが無難かな?
 失礼な疑問を抱いてるのはわかっているけど、考えてしまうのだ。やっぱり自分の身はかわいい。
「ん〜、と。……」
 ど ち ら に し よ う か な? 神様の言うとおり……。
 そうやって指を差して選ぶのもいいかもしれない。
『あの。あの。どちらでもいいので、早く来てほしいんですけど……』
 なにかに追い立てられるように催促されて、そんなにぼくに会いたいの? と。そう思いかけて、そんな都合のいいことはない、と首を振る。
 たぶん真面目なみどりちゃんのことだ、麺が伸びるから、って心配しているにちがいない。
「わかった。わかったよ。もう起きるから」
 嫌われる前に起きますよぉ、だ。心の中だけで捻くれる。
『じゃあ。待ってますから』
 待ってます。
 なんていい響きなんだ。そう言われると、勘違いしてしまいそうになる。
「わかった。今、行くよ」
 のんびりまどろんでる暇はない、と重いまぶたを開けて、足に反動をつけた。
 ああ。よく寝た。両腕を上げて伸びをする。
 ベッドを降りると遮光カーテンを勢いよく開けた。
 光りが差し込んで柔らかく落ちてきた。
 今日はいいお天気だ。
 洗いっぱなしのシャツとジーンズを身に着けて、携帯電話を後ろポケットに突っ込んだ。部屋に鍵をかけて、階段を一段抜かしで上がった。
 九階までは、もう少しだ。
 ごはんを食べたら、みどりちゃんを気持ちのいい外に誘ってみようか、と思った。

 
 なのに。
「今日は午後から友だちが来るんです」
 うれしそうな顔でみどりちゃんは言った。
 残念。今日もデートに誘えなかったか。
 だから早く食べてくださいね、とテーブルに一人プラス半人前の冷し中華をドン、と置いた。
 具はハムとゆで卵、きゅうりとトマト。彩りよく丁寧に盛り付けられたお皿にぼくは口笛を吹きそうになった。
「タレは、どちらにするか決めました?」
 みどりちゃんの手のひらには市販のタレがのせられていた。
 なんだ、お手製じゃないのか、とごちる。不味いのは嫌なくせにぼくは曲がっている。みどりちゃんの愛情がこもってるタレの方がよかった。不味いのだって我慢できるのだ。
 そうか。市販のタレ、か。だったらどちらでもいいや、と思う。
「どれにします?」
「ぼくが決めてもいいの?」
 もちろん、です。と、みどりちゃんは頷く。
「じゃあ。レモン醤油にしようかな。いい?」
「はい。わたしはどちらも好きだから」
 みどりちゃんはぼくのお皿に手早くタレをかけると、自分のお皿にもごまダレをかけ、そそくさと食べ始めた。
 ぼくも倣ってざっと具と麺を混ぜ合わせてから、すすった。
 ひと口目で美味さを実感した。
「美味いっ! 絶品!! すっごく美味いよ。これっ」
 みどりちゃんは、もぐもぐと咀嚼しながら目を丸くして、首を傾げておかしそうに笑った。
「市販の冷し中華に具をのせただけだもん。誰が作っても美味しいですってば」
 当然です、と胸を張って言われて、急激に切なくなった。
 ぼくはなんて失礼なことを言ってしまったのか。
 美味すぎて、我を忘れてしまった。
 この部屋に来て、みどりちゃんが作ったものの中で初めて美味しいと思えるものを口にした。そのせいだ。
 ここは気を静めて、黙々と食べるべし。
 う、美味い。
 心から感じる。
 ぼくは料理をしないから違うかもしれないけど、みどりちゃんの料理の腕はそれほど悪くはない、と思う。
 冷し中華の麺の茹で具合も合格点。具だって切り方もそろっていて美しい。
 器用な方だと思う。
 ただ、決定的に味付けが悪すぎるのだ。
 味覚がぼくと違うのか? はたまた味音痴なのか? 
 聞けないけど、さ。
 でも、言えることはみどりちゃんのお父さんは家では滅多に食事をしない。理由をつけては逃げている。やれ残業だ、接待だ、飲み会だ、とか言って。今日も早朝からゴルフに出かけている。
 話の中のニュアンスでは、不味いからだ、と窺える。
「青木さん、それ食べ終わったら帰ってくださいね。わたし、友だちが来る前に飲み物買って来なくっちゃ」
 すでに食べ終わったみどりちゃんはお皿を片付けて、いそいそと買い物バッグを手に持った。
「ちょっとそこのスーパーまで行ってきます」
 もうみどりちゃんは、ぼくから背を向けていた。
 左手を振り見送ったのに。こちらに気づかずみどりちゃんは行ってしまった。ぼくは空しく見てもらえなかった手をひっそりと収めた。
 ぼくより友だちの方がいいのか、と麺を弱弱しくすする。
「なー」
 あかちゃが足元にやってきていた。
 まるで、ぼくを慰めるように擦り寄るので、背をかがめて喉元を優しく撫ぜてやった。
 ゴロゴロと鳴らして、そばにうずくまるあかちゃ。気持ちよさそうに目を閉じた。
「おまえ、ほんといいヤツだな」
 小さく呟いた。
 あかちゃがいてくれてよかった。 


 それにしても、静かすぎる。自分ひとり。麺をすする音だけがクリアーに聞こえ、遠慮のないため息を深く吐き出した。
 途端。
 寝ているはずのあかちゃが、奥の部屋へ行ってしまった。
 静かだった部屋に突如足音が響き、部屋の扉が開いた。
 顔を上げると、知らない顔が揃ってぼくを見ていた。
 まつげパッチリ。塗りたくった白い肌。頬は人工のピンク色。茶色の巻き髪。甘ったるい香り。同じような顔。同じような格好。
 そのふたりが顔を見合わせてから、
「「どうもぉ〜」」
 と、キレイにハモった。
 なにが面白いのか、と思うほどの大笑いをして身体をくねらせた。
 これは媚を売っているのか。解釈がむずかしい。
 興味津々。何から聞いてやろう、っていうような不躾な視線に、持っている箸が震える。 ものすごーく値踏みされている気がする。
 おそらくこのふたりは午後から来る、みどりちゃんの友だちだろう。
 最後の麺をすすり込んで顔を上げた時だったので、もう少しで噴出してしまうところだった。慌てて喉に押し込んで、みどりちゃんはすぐに帰ってくることを告げた。
「知ってますぅ。勝手に入ってるよう、みどりからメールもらったからぁ〜」
 鼻にかけた高音が引き伸ばされた声に、耳をフタしたくなった。
 ぜったいにお近づきになりたくないタイプだ。
 しょうがなく作り笑いで誤魔化した。
 ふたりは一瞬、頬を赤らめ、また顔を見合わせた。
 文字通りチャイムも鳴らさずに入ってきたふたりの女子高生は、ぼくを品定めする目つきのままで質問を浴びせようと口を開けかけた。 
 そこへ幸運が。みどりちゃんが帰ってきたのだ。
 みどりちゃんはてっきりぼくは帰ったと思っていたのだろう。玄関でぼくの靴を見つけて焦って駆け込んできた、という顔をして部屋に入ってきた。ぼくの顔を確認するや、『帰ってください』という信号をバチバチと送ってきた。
 顔はもちろん耳まで赤く染まって。可哀想なほど慌てている。
 ぼくはみどりちゃんに嫌われたくなかったので、こくこくと頷くと残っていた麦茶を飲み干し、即効でお皿とコップをキッチンに持って行った。
 途中、みどりちゃんの耳元に囁いた。
「ご馳走様。美味かったよ」
 あと、ふたりには聞こえないように付け足すことも忘れない。
 また夜に来るね、と甘く微笑んだ。
 部屋を出た途端、後ろから黄色い声が容赦なく追いかけてきたが、かまわず玄関へ向かった。
「誰ぇ? 超オトコまえ〜。どこで知り合ったのぉ? みどりぃ」
「餌付けってやつ? 『美味かったよ』だってぇ。ウケル〜」
 ウンザリするほどあけすけな声が聞こえてきた。
 みどりちゃんの声はしない。
 どうせ真っ赤なりんご顔を持て余しているのだろう。
 若い人で勝手にやってください、と隔てられた壁に視線をやった。
 期末テストの勉強をする、って言っていたけど、きっと勉強にはならないだろう。
 あとでケーキでも差し入れようか、と思いつき、やっぱりみどりちゃん以外の女子高生はちょっと苦手だ、と首を振った。

(2011/2/1)

back  next

イラストもずねこ

top

inserted by FC2 system